2011年9月30日金曜日

営業報告(乙女ミステリ)



 現在発売中のSpurにて、「乙女的ミステリ案内」という特集で、ミステリの読書指南と乙女ミステリ十選を担当しました。
 「女の子たちのためのミステリの特集をやりましょう!」と言って、実現した企画なので嬉しい。
 小中学生の頃は、大人の女性というのはハンドバッグに口紅とコンパクトと共にポケミスをしのばせているのだと信じていました。何でそんな幻想を持っていたのか。でも、今でも素敵な女子はミステリを読むべきだと思っています。

乙女ミステリ十選で泣く泣く落としたのは、
あなたならどうしますか/シャーロット・アームストロング
ずっとお城で暮らしてる/シャーリィ・ジャクソン
今夜の私は危険よ/コーネル・ウールリッチ(そもそもミステリではない)
らせん階段/エセル・リナ・ホワイト
レイチェル/ダフネ・デュ・モーリア
人魚とビスケット/J・M・スコット
午後の死/シェリィ・スミス
キングとジョーカー/ピーター・ディキンソン

あたり。
 「悪魔に食われろ青尾蠅」も「狙った獣」「暗い鏡の中に」にかぶるので外しました。この三冊は『ブラック・スワン』が好きだった女子にニューロティック・サスペンス三部作として捧げたい。

 多岐川恭の「お茶とプール」を挙げたことがミステリファンの間でちょっと話題になったようですが、これは本当に単純に大好きな一冊。確か三年目、夏の古本市で見つけました。プールサイド! ハイボール! サロン! これが当時映画化されなかったのが不思議で仕方がありません。
 「お茶とプール」の映画版、私は三パターン考えています。

大映版:監督:市川崑   輝岡亨:田宮二郎 星加卯女子:若尾文子 橋元由紀:高峰三枝子 永井百々子:梓英子
東宝版 監督:福田純 輝岡亨:仲代達矢 星加卯女子:司葉子 橋元由紀:淡路恵子
日活版 監督:中平康 輝岡亨:石原裕次郎 星加卯女子:浅丘ルリ子 橋元由紀:渡辺美佐子

 うーむ、どれも見たい。
 それでは秋の夜長に、ミステリを楽しんで下さい。

営業報告(プレッピー講座)



 プランタンのプレッピー講座に来てくれた方々、どうもありがとうございました!楽しんでいただけたでしょうか?「プレッピーは自己表現などしない」という発言が受けていましたが、その中でも例外、ホイット・スティルマン監督の十三年ぶりの新作「Damsel in Distress」がとても楽しみです。


 ヒロインを演じるグレタ・ガーウィグの服装、いかにもプレッピーという感じ。この人はインディ映画マンブルコアのミューズとして知られていますが、そういえばセブン・シスターズの一校、バーナード大学出身なのでした。プレッピーを演じる資格は充分。



ホイット・スティルマン『メトロポリタン』。モスト・プレッピー・ムーヴィー・エヴァー。90年代映画のベスト10を聞かれたら、迷わずこれを一番に選びます。



やはり珍しい「表現するプレッピー」ティナ・バーニーによるトリ・バーチの広告写真。
次にプランタンの映画講座でやるのはロマンティック・コメディがいいかな。

2011年9月16日金曜日

営業報告

 9月23日のプランタン銀座のエコール・プランタンにて「映画に見るプレッピー」という講座をやります。申し込みの受付はこちらから。ギンガムチェックのボタンダウンを愛する皆様、お時間がありましたら、是非いらして下さい。
 武井咲嬢の表紙が目印の「SPUR PINK」で、新人モデル×ディケイド・ファッションのページの各年代カルチャー案内を書いています。
私の一推しはシシド・カフカ嬢。メキシコ生まれアルゼンチン育ち、176センチの長身でドラマーだなんて! It Girlの真打ち登場って感じ。
そのページの20年代編で私が紹介した映画、『日曜日の人々』。



 この素晴らしい映画を若い男女に見て欲しい。時々アテネなどの上映会でかかるらしいので、チェックしてみて下さいね。

 水嶋ヒロ編集長の「Global Work」で『ハイスクールU.S.A.』コンビでファッションと映画について語っています。四本も対談があって、読み応え十分!

 現在発売中の「FRaU」の20周年記念号で『glee 3Dコンサート』の特集ページを担当しています。ファンはもれなく行った方がいい、楽しいコンサート・フィルム。『アメリカン・ティーン』のようなドキュメンタリー・パートも泣かせます。私ももう一度、劇場に見に行くつもりです。
 「フラウ」の113ページに、私が選んだアイテムとサイン本のプレゼント企画があるので、そこもチェックをお願いします。
 読書日記で紹介した本は以下の通り。

 吉田戦車『逃避めし』
 ティム・ガン『誰でも美しくなれる10の法則』
 サルバドール・プラセンシア『紙の民』
 『ラテンアメリカ五人集』
 
 『ラテンアメリカ五人集』に収録されているリョサの「子犬たち」の痛ましさとせつなさったらないね! 最高の青春小説。光が強いうちに読むことをお勧めしたい。


ハッピー・エンド・ルール



 この間、夜中にツイッターに思いついて連投した「ロマンティック・コメディに大事な要素」が結構反応があったので、晶文社のウェブに連載していた「ハッピー・エンド・ルール」のために書いた序文をややアレンジして再掲します。「Romantic au go! go!」はもともとラブコメ映画を紹介するために作ったサイトでした。その初心を忘れないように。


 ロマンティック・コメディの映画はお好きですか? 

 冒頭はボーイ・ミーツ・ガール。やることといえばフォーリン・ラブ。そこからハッピー・エンドに至るまでのクリシェに次ぐクリシェ。 

主人公がさえない女子ならば、恋のお相手は手の届かない王子様。さえない男子ならば、ギャングの美しい情婦。

 主人公のカップルがキスをすると、二人の仲を知られてはならないような人物がドアを開ける。とっさに彼は彼女を妹だと偽る。

 彼女が遠い街や外国に旅立つと知って、別れを後悔した彼は空港や港、駅に車を飛ばす。かならずと言っていいほど渋滞に巻き込まれる。

 百戦錬磨のプレイボーイも、鉄の意志のキャリアガールも、かならず最後に恋の前に屈服する。それがロマンティック・コメディの世界です。

デートの口実にはもってこい。映画好きを自認する人にベスト・ムーヴィーを聞くと、かならず選からもれてしまう。カップルや、あるいはボーイフレンドのいない女子が、金曜日の夜にDVDで見てワインやデリと共に消費してしまう。それがロマンティック・コメディ。

ふわふわとしていて、甘ったるくて、他愛がない。それぞれに熱狂的なファンがいるジャンル映画の中でも、最も侮蔑的な扱いを受けているジャンル映画。何故なら、SFやホラー、アクション映画と違って決してカルト化しないから。万人受けを狙って作られ、決して映画賞の栄誉には輝かない。

 私はそんなロマンティック・コメディが大好きです。週に一本、よく出来たロマンティック・コメディの映画さえ見られれば、他には何もいらないほど。

 女性向きのそんな映画は巷に溢れているから苦労しないだろうって? 

 ところがどっこい、これが難しいのですよ。ロマンティック・コメディはどれも同じように見えて、クオリティがまったく違う。本当に面白くてロマンティックな映画は貴重です。

 私はロマンティック・コメディは、クリシェは多ければ多いほど楽しいと思っています。同じシチュエーション、同じ展開を扱うからこそ、個々の作品を作っているスタッフの力が試されるのです。

 幸せな結末に至るまでの展開がご都合主義に見えるか、奇跡に見えるか。それは作る人の技量

 一方で、筋立ては決まっているから、手を抜いて安易に作ろうと思えばいくらでも作ることができます。

 悲しいのは、ロマンティック・コメディを嫌いな人が、筋立てが同じだという理由だけで手抜きの作品もいい作品もいっしょくたにしてしまうことです。

 同じだからこそ、細かな差異が問題になってくるというのに。その「細かな差異」が映画批評ではあまり評価されていない分野に及ぶから難しい。ファッションやインテリアといった、視覚的に重要なポイントがそこに含まれているにもかかわらず。 

 もちろん、映画史的に重要とされているロマンティック・コメディの作品もあります。30年代から40年代のハリウッドで作られたスクリュー・ボール・コメディの数々です。

アメリカの不況期に多数作られたこのジャンル映画は、「主人公たちが贅沢な暮らしをしている」「展開が早くて登場人物たちが気の利いた台詞を早口でまくし立てる」「常識や性的モラルを覆し、主人公の男女が結婚離婚を繰り返したり、女が男を殴ったり、服装倒錯があったりする」といったことを特徴としています。

 私もスクリュー・ボール・コメディは大好き。でも、スクリュー・ボール・コメディを前提として、ロマンティック・コメディの映画を時系列に語っていくと、何だか映画の歴史をレクチャーされているようでつまらない。ロマンティック・コメディは金曜日の夜にハッピー・エンドの映画を見てうっとりしたい人のためにあるのに!

 クラシックかどうか、映画史的に認められているかどうかなんて関係ありません。ロマンティック・コメディは、現代の恋人たちやシングル・ウーマンにとって有効かどうかで本当の価値が決まるのです。

 映画用語である「スクリュー・ボール・コメディ」に比べると、「ロマンティック・コメディ」という言葉が指し示すジャンルは曖昧です。男女が知り合い、結ばれるまでの物語を笑いを交えながら描くといえば簡単です。それでも、ロマンスを主体にしたものからコメディ主体のものまで大きくグラデーションが分かれそうです。レンタルDVDの店では、かけ離れた棚に置かれることも少なくないでしょう。

 アクション・コメディやサスペンスにロマンティック・コメディの要素が入るものだってある。ミュージカルだって、ストーリーだけみればロマンティック・コメディというものが多い。60年代の映画だとセックス・コメディにジャンル分けされる場合もあります。

 日本ではよくラブ・コメディという言葉を使いますが、これは便利な和製英語です。ボーイ・ミーツ・ガール以外の定義が曖昧なこの分野には、いっそそんな軽い言葉がふさわしいのではないでしょうか。


 ロマンティック・コメディに必要な要素は以下の通りです。


その1「出会いはキュートに」

その2「反発しながら惹かれ合う」鉄板です。仕事のライバルでも可。

その3「嘘をついて接近する」もちろん愛が芽生えはじめた大事な瞬間にその嘘はバレます

その4「婚約は一度は破棄される」バリエーションとして「結婚が無効になる」があります。最近だと「ラブ・アゲイン」はこのバリエーション。

その5「高嶺の花にはかならず手が届く」このままハッピーエンドになる場合と、振り向いてくれた憧れの対象ではなくて身近にいた相手に気がつくパターンに分かれます。

その6「デートもキュートに」デートアイデアを提供してくれないようなロマコメはロマコメではない。意外なところだと、アダム・サンドラ主演作のデートはいつもひねりがあって面白いです。

その7「プレイボーイ/プレイガールはかならず陥落する」高嶺の花とはまた違うパターン。各自が持っている「恋の法則」「恋の哲学」が使えなくなる時がかならず来ます。

その8「恋敵は上手に退場させる」これが難しい。ここでつまずくラブコメ多数。ノラ・エフロンさえ一度失敗している。「Baxter」は「退場する恋敵」を主人公にした映画で、ラストにツイストがありました。

その9「適切なアドバイスをする第三者がいる」影の重要人物です。「ここで恋を逃したら後悔する、行け!」『ステイ・フレンズ』のジャスティンには二人もいました。この「適切なアドバイスをする第三者」をオネエキャラのゲイ友にする脚本家はサボっています。

その10「失った相手は取り戻せる」どうやって取り戻してみせるかが脚本家の腕の見せ所。デート並みにキュートなアイデアが必要です。

その11「告白もキュートに」「好きだ」「愛している」の代わりに「黙って(カードを)切って」というのが映画です。今年一番良かった告白は「いつかパンケーキを焼いてあげる」(今年年末公開の映画)

その12「ハッピーエンド」ロマンティックな曲がかかり、飛行機が飛び立つシーンで終われば文句なしです。


 そして私が「ロマンティック・コメディ映画」というとき、それはアメリカ映画、もっというとハリウッド・メイドのものを指しています。

 優れたロマンティック・コメディの映画は各国にあります。しかも、ラブコメは「恋」と「笑い」を絡めた分野であるからして、当然恋愛遊戯的な面を持っています。ピューリタリズムに縛られて、幼いモラルを厳しく守っているアメリカには本当ならば不向きなジャンルのはずです。でも、ハリウッドのラブコメ映画は面白い。それは何故でしょう?

 恋愛の本場といえばフランスが有名です。しかしヨーロッパには、そんな名高いアムールの国をびびらすほど、更に恋愛遊戯に長けたところがあります。オーストリアです。

 ウィーンが本場のオペレッタといえば、テーマは恋愛遊戯。浮気をしても、横恋慕しても、登場人物は誰も責められません。

 そんなオーストリアで育った映画作家たちは戦前、本国やドイツで洒落たロマンティック・コメディの映画を作っていたそうです。

 30年代、ナチスの抑圧が厳しくなったドイツから様々な映画人がアメリカに亡命し、ハリウッドに職を求めました。ビリー・ワイルダーもその一人です。

 ワイルダーが脚本家として参加して同郷の映画監督の作品、エルンスト・ルビッチの『青髭八人目の妻』(38)を私はハリウッドにおけるロマンティック・コメディの起点としたいと思います。

 30年代はスクリュー・ボール・コメディの全盛期であり、『青髭八人目の妻』以前にもルビッチはスクリュー・ボールの傑作を数多く撮っています。

 にもかかわらずこの作品をスタートとするのは、全てのラブコメは男女の出会いから始まるからであり、『青髭八人目の妻』におけるクローデット・コルベールとゲイリー・クーパーの出会い方は、その後のラブコメのゴールデン・ルールを築くものであるからです。

それがロブコメに必要な要素その1で挙げた「Meet cute」-「ヒロインとヒーロー、二人の出会いはキュートで、風変わりなシチュエーションであること」。

 この「キュートな出会い」の発案者はビリー・ワイルダーでした。コルベールとクーパーが映画の中でどんな風に出会ったかは映画を見ていただくこととして、確かなことがひとつあります。

 戦争のせいでドイツやオーストリアの映画人たちがハリウッドに来なかったら、今のラブコメの形態はないということです。ドイツはドイツで洒落た恋愛映画を輩出したかもしれませんが、それは今日のラブコメではありえない。ヨーロッパの恋愛遊戯をアメリカナイズドしたのが、今のラブコメなのです。

 アメリカのユーモア、イギリスのウィット、フランスのエスプリとも違うドイツのこじゃれた感覚を「Grazie」というそうですが、この「Grazie」をソーダ水で割ったような感覚といえばいいでしょうか。ただ笑えるだけではない。洒落ているだけでもない。それがハリウッドのラブコメの不思議な魅力です。

 くだくだ書いてしまいましたが、「ラブコメの歴史」を辿ることが私の真意ではありません。

 ルビッチやジョージ・キューカーやハワード・ホークスを誉めて、現在のラブコメ映画を支えている職人監督をくさすような真似はしないし、メグ・ライアンやキャサリン・ハイグルに比べてキャロル・ロンバートやキャサリン・ヘプバーンがいかに素晴らしかったかという話もしない。


 全ては恋人たちの、あるいはシングルガールたちの大事な金曜日の夜のために。いつもそんな気持ちで映画を紹介したいと思っています。


2011年9月7日水曜日

女になって出直せよ。

 時々、CSで昔の「夜のヒットスタジオ」を見る。
 週に一度しかやらないので、いつまで経っても私たちにとっての黄金時代である80年代の回に入らないのが残念だが(かの香織がクールだったショコラータがゲストの回は何年後に放映されるのだ)、70年代後半の歌謡界はエグみもあってやはりそれなりに面白い。
 新御三家の内の誰かとジュリーが出る時は華やかだし、何より井上順の司会が素晴らしい。これほどまでに優雅にスベリ続け、何にも恐れず「お世話になりました」状態の司会者が他にいるだろうか。断崖絶壁をスキーで笑いながら滑っていくような、それはそれは見事で、軽やかで、かつ凄みのあるスベリ芸である。時々エリザベス・バンクスそっくりに見える芳村真理が小声で言う「順ちゃん(もう)黙ってて」という冷たい返しも最高だ。ゲストに向かって「(順がバカなこと言って)ごめんなさいね」ってこっそり謝るときの仕草もいい。
 生バンドの競演も迫力がある。やっぱり歌謡番組は生バンドの方が個性が出るねえ。この間は、「銀河鉄道999」でミッキー吉野がハモンドをエキサイトして奏でるあまりにコーラス・マイクを倒してしまい、それを曲中に井上順と(ゲストで来ていた)マチャアキがセッティングし直すという大変に希有なシーンも見られた。ADに指示するよりも自分たちでやった方が早い、というバンドマンらしい判断なのだろう。
 何より、忘れていたヒット曲の中に掘り出しものがある。この「夜ヒット」再放送で見て今まで特に好きになったのは、梅津かずお先生の歌詞も最高な郷ひろみの「寒い夜明け」と



(この頃のひろみは松潤に似ているね)

 ヨットロック×ミシェル・ルグランな野口五郎の「女になって出直せよ」である。グレイト筒美ワークス!



 阿久悠イズムな歌詞であることよ…「女になって出直せよ」なんてフレーズ、今ならキーッとなる人が多くて使えないんじゃないの? まあ「お互い成長するために別れよう」という内容なんだけど、それって飽きてきた女を捨てるのにちょうどいい台詞ではある。
「寒い夜明け」もそうだけどこの頃は「お互いの成長のために別れる」というシチュエーションの曲は多かった。という話をしていたら「キャンディとテリーもそうだった」とM蔵が遠い目をして言った。


(まさかあの二人が別れるとは思わなかった、とクラスの女子たちも大騒ぎだったらしい)