この間、夜中にツイッターに思いついて連投した「ロマンティック・コメディに大事な要素」が結構反応があったので、晶文社のウェブに連載していた「ハッピー・エンド・ルール」のために書いた序文をややアレンジして再掲します。「Romantic au go! go!」はもともとラブコメ映画を紹介するために作ったサイトでした。その初心を忘れないように。
ロマンティック・コメディの映画はお好きですか?
冒頭はボーイ・ミーツ・ガール。やることといえばフォーリン・ラブ。そこからハッピー・エンドに至るまでのクリシェに次ぐクリシェ。
主人公がさえない女子ならば、恋のお相手は手の届かない王子様。さえない男子ならば、ギャングの美しい情婦。
主人公のカップルがキスをすると、二人の仲を知られてはならないような人物がドアを開ける。とっさに彼は彼女を妹だと偽る。
彼女が遠い街や外国に旅立つと知って、別れを後悔した彼は空港や港、駅に車を飛ばす。かならずと言っていいほど渋滞に巻き込まれる。
百戦錬磨のプレイボーイも、鉄の意志のキャリアガールも、かならず最後に恋の前に屈服する。それがロマンティック・コメディの世界です。
デートの口実にはもってこい。映画好きを自認する人にベスト・ムーヴィーを聞くと、かならず選からもれてしまう。カップルや、あるいはボーイフレンドのいない女子が、金曜日の夜にDVDで見てワインやデリと共に消費してしまう。それがロマンティック・コメディ。
ふわふわとしていて、甘ったるくて、他愛がない。それぞれに熱狂的なファンがいるジャンル映画の中でも、最も侮蔑的な扱いを受けているジャンル映画。何故なら、SFやホラー、アクション映画と違って決してカルト化しないから。万人受けを狙って作られ、決して映画賞の栄誉には輝かない。
私はそんなロマンティック・コメディが大好きです。週に一本、よく出来たロマンティック・コメディの映画さえ見られれば、他には何もいらないほど。
女性向きのそんな映画は巷に溢れているから苦労しないだろうって?
ところがどっこい、これが難しいのですよ。ロマンティック・コメディはどれも同じように見えて、クオリティがまったく違う。本当に面白くてロマンティックな映画は貴重です。
私はロマンティック・コメディは、クリシェは多ければ多いほど楽しいと思っています。同じシチュエーション、同じ展開を扱うからこそ、個々の作品を作っているスタッフの力が試されるのです。
幸せな結末に至るまでの展開がご都合主義に見えるか、奇跡に見えるか。それは作る人の技量
一方で、筋立ては決まっているから、手を抜いて安易に作ろうと思えばいくらでも作ることができます。
悲しいのは、ロマンティック・コメディを嫌いな人が、筋立てが同じだという理由だけで手抜きの作品もいい作品もいっしょくたにしてしまうことです。
同じだからこそ、細かな差異が問題になってくるというのに。その「細かな差異」が映画批評ではあまり評価されていない分野に及ぶから難しい。ファッションやインテリアといった、視覚的に重要なポイントがそこに含まれているにもかかわらず。
もちろん、映画史的に重要とされているロマンティック・コメディの作品もあります。30年代から40年代のハリウッドで作られたスクリュー・ボール・コメディの数々です。
アメリカの不況期に多数作られたこのジャンル映画は、「主人公たちが贅沢な暮らしをしている」「展開が早くて登場人物たちが気の利いた台詞を早口でまくし立てる」「常識や性的モラルを覆し、主人公の男女が結婚離婚を繰り返したり、女が男を殴ったり、服装倒錯があったりする」といったことを特徴としています。
私もスクリュー・ボール・コメディは大好き。でも、スクリュー・ボール・コメディを前提として、ロマンティック・コメディの映画を時系列に語っていくと、何だか映画の歴史をレクチャーされているようでつまらない。ロマンティック・コメディは金曜日の夜にハッピー・エンドの映画を見てうっとりしたい人のためにあるのに!
クラシックかどうか、映画史的に認められているかどうかなんて関係ありません。ロマンティック・コメディは、現代の恋人たちやシングル・ウーマンにとって有効かどうかで本当の価値が決まるのです。
映画用語である「スクリュー・ボール・コメディ」に比べると、「ロマンティック・コメディ」という言葉が指し示すジャンルは曖昧です。男女が知り合い、結ばれるまでの物語を笑いを交えながら描くといえば簡単です。それでも、ロマンスを主体にしたものからコメディ主体のものまで大きくグラデーションが分かれそうです。レンタルDVDの店では、かけ離れた棚に置かれることも少なくないでしょう。
アクション・コメディやサスペンスにロマンティック・コメディの要素が入るものだってある。ミュージカルだって、ストーリーだけみればロマンティック・コメディというものが多い。60年代の映画だとセックス・コメディにジャンル分けされる場合もあります。
日本ではよくラブ・コメディという言葉を使いますが、これは便利な和製英語です。ボーイ・ミーツ・ガール以外の定義が曖昧なこの分野には、いっそそんな軽い言葉がふさわしいのではないでしょうか。

ロマンティック・コメディに必要な要素は以下の通りです。
その1「出会いはキュートに」
その2「反発しながら惹かれ合う」鉄板です。仕事のライバルでも可。
その3「嘘をついて接近する」もちろん愛が芽生えはじめた大事な瞬間にその嘘はバレます
その4「婚約は一度は破棄される」バリエーションとして「結婚が無効になる」があります。最近だと「ラブ・アゲイン」はこのバリエーション。
その5「高嶺の花にはかならず手が届く」このままハッピーエンドになる場合と、振り向いてくれた憧れの対象ではなくて身近にいた相手に気がつくパターンに分かれます。
その6「デートもキュートに」デートアイデアを提供してくれないようなロマコメはロマコメではない。意外なところだと、アダム・サンドラ主演作のデートはいつもひねりがあって面白いです。
その7「プレイボーイ/プレイガールはかならず陥落する」高嶺の花とはまた違うパターン。各自が持っている「恋の法則」「恋の哲学」が使えなくなる時がかならず来ます。
その8「恋敵は上手に退場させる」これが難しい。ここでつまずくラブコメ多数。ノラ・エフロンさえ一度失敗している。「Baxter」は「退場する恋敵」を主人公にした映画で、ラストにツイストがありました。
その9「適切なアドバイスをする第三者がいる」影の重要人物です。「ここで恋を逃したら後悔する、行け!」『ステイ・フレンズ』のジャスティンには二人もいました。この「適切なアドバイスをする第三者」をオネエキャラのゲイ友にする脚本家はサボっています。
その10「失った相手は取り戻せる」どうやって取り戻してみせるかが脚本家の腕の見せ所。デート並みにキュートなアイデアが必要です。
その11「告白もキュートに」「好きだ」「愛している」の代わりに「黙って(カードを)切って」というのが映画です。今年一番良かった告白は「いつかパンケーキを焼いてあげる」(今年年末公開の映画)
その12「ハッピーエンド」ロマンティックな曲がかかり、飛行機が飛び立つシーンで終われば文句なしです。
そして私が「ロマンティック・コメディ映画」というとき、それはアメリカ映画、もっというとハリウッド・メイドのものを指しています。
優れたロマンティック・コメディの映画は各国にあります。しかも、ラブコメは「恋」と「笑い」を絡めた分野であるからして、当然恋愛遊戯的な面を持っています。ピューリタリズムに縛られて、幼いモラルを厳しく守っているアメリカには本当ならば不向きなジャンルのはずです。でも、ハリウッドのラブコメ映画は面白い。それは何故でしょう?
恋愛の本場といえばフランスが有名です。しかしヨーロッパには、そんな名高いアムールの国をびびらすほど、更に恋愛遊戯に長けたところがあります。オーストリアです。
ウィーンが本場のオペレッタといえば、テーマは恋愛遊戯。浮気をしても、横恋慕しても、登場人物は誰も責められません。
そんなオーストリアで育った映画作家たちは戦前、本国やドイツで洒落たロマンティック・コメディの映画を作っていたそうです。
30年代、ナチスの抑圧が厳しくなったドイツから様々な映画人がアメリカに亡命し、ハリウッドに職を求めました。ビリー・ワイルダーもその一人です。
ワイルダーが脚本家として参加して同郷の映画監督の作品、エルンスト・ルビッチの『青髭八人目の妻』(38)を私はハリウッドにおけるロマンティック・コメディの起点としたいと思います。
30年代はスクリュー・ボール・コメディの全盛期であり、『青髭八人目の妻』以前にもルビッチはスクリュー・ボールの傑作を数多く撮っています。
にもかかわらずこの作品をスタートとするのは、全てのラブコメは男女の出会いから始まるからであり、『青髭八人目の妻』におけるクローデット・コルベールとゲイリー・クーパーの出会い方は、その後のラブコメのゴールデン・ルールを築くものであるからです。
それがロブコメに必要な要素その1で挙げた「Meet cute」-「ヒロインとヒーロー、二人の出会いはキュートで、風変わりなシチュエーションであること」。
この「キュートな出会い」の発案者はビリー・ワイルダーでした。コルベールとクーパーが映画の中でどんな風に出会ったかは映画を見ていただくこととして、確かなことがひとつあります。
戦争のせいでドイツやオーストリアの映画人たちがハリウッドに来なかったら、今のラブコメの形態はないということです。ドイツはドイツで洒落た恋愛映画を輩出したかもしれませんが、それは今日のラブコメではありえない。ヨーロッパの恋愛遊戯をアメリカナイズドしたのが、今のラブコメなのです。
アメリカのユーモア、イギリスのウィット、フランスのエスプリとも違うドイツのこじゃれた感覚を「Grazie」というそうですが、この「Grazie」をソーダ水で割ったような感覚といえばいいでしょうか。ただ笑えるだけではない。洒落ているだけでもない。それがハリウッドのラブコメの不思議な魅力です。
くだくだ書いてしまいましたが、「ラブコメの歴史」を辿ることが私の真意ではありません。
ルビッチやジョージ・キューカーやハワード・ホークスを誉めて、現在のラブコメ映画を支えている職人監督をくさすような真似はしないし、メグ・ライアンやキャサリン・ハイグルに比べてキャロル・ロンバートやキャサリン・ヘプバーンがいかに素晴らしかったかという話もしない。

全ては恋人たちの、あるいはシングルガールたちの大事な金曜日の夜のために。いつもそんな気持ちで映画を紹介したいと思っています。