2012年1月6日金曜日

原作を読まなくてはいけない映画


 映画は映画。原作の小説は小説。という主義ですが、ジョナサン・サフラン・フォアの『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』に限っていえば、これは絶対に原作を読まなくてはいけない映画、語れない映画。と今日ツィートしたのですが、その理由をもう少し掘り下げてツィートしようとしたら、何だか長文になってしまったので、ブログに投稿することにしました。


・「ものすごくうるさくて~」の件、もう少し丁寧に書きます。見た映画の全ての原作を読む必要はありません。ただ今回の場合、映画だけを見て「~ってこういう話」って思うと、デミ・ムーアの『スカーレット・レター』だけ見て「緋文字」を知った気になるような危険性があります。

・あるいは映画版の『ティファニーで朝食を』だけ見て、カポーティの小説も同じ話なんだと思うような。

・また、原作は本国ではまがりなりにもベストセラー。どんな小説なのか世間的に一応コンセンサスが出来ている中でのあの映画なわけですが、日本では「ジョナサン・サフラン・フォアってだーれ?」という状態。それでああいう映画が投入されると、作家の本質そのものが歪んで伝わる可能性が大変に大きい。

・ジョナサン・サフラン・フォアの小説をそのまま映画化することは不可能です。何故ならフォアは、小説にしか出来ないこと、を駆使して物語を紡ぎ上げていく作家だからです。

・当たり前ながら、「小説にしか出来ないこと」があるように「映像にしか出来ないこと」があります。どっちがえらいという問題ではありません。

・フォアのもうひとつの小説『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』の映画化作品『僕の大事なコレクション』の場合、映画に使われたのが原作の半分のパートです。でも、『僕の大事なコレクション』のファンに「原作を読まなきゃダメだ!」とは言いません。

・リーヴ・シュライバーは大変にかしこく、映画に向くエッセンスのみを小説から抽出したし、キャラクターの造形も撮り方も間違えなかった。原作を読まなくても、少なくともこれが非常にユニークで新しい雰囲気の小説を基にしていることは分かるはずです。

・映画を気に入った人には『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』を読むことをお勧めしますけどね。きっと読んだら驚くだろうし、この物語をもっともっと好きになるでしょうから。

・「ものすごく~」の場合、映画に使われたのは原作の三分の一のパートくらいです。映画化されるのはここの部分だけだな、という予想はついていましたし、それには何の不満もありません。

・マックス・フォン・シドーの役について混乱したのは、マックス・フォン・シドーの役が原作の二つの人物を掛け合わせたものだからです。「間借り人」と「ミスター・ブラック」です。原作を読んだ人は、この二人が一人になったと聞いたら「えええええ?」って反応するはずです。

・だってだって、あの二人が一緒になってしまったということはあれとかあれとかどうなるんだって話ですよね。そうです。テーマの根幹に関わる大事なシーン、あれは全部ありません。タイトルの由来となっているところもです。

・事実から小説、小説から映画を作る際、複数の人物を一人のキャラクターにまとめるのはよくある話で、その作劇法自体をダメだという気はないのですが、今回はまとめちゃいけない二人をまとめちゃった訳です。

・二人をまとめたことでなくなった場面のいくつかは大変に映画映えするものであり、どちらの役をやったにしてもマックス・フォン・シドーは素晴らしかったと思います。キャラがまとめられたことで、フォン・シドーは見せ場をがっつり失ったわけです。

・同じことはオスカー役のトーマス・ホーン君にも言えます。彼は非常に才能のあるいい子だと思うのですが、映画の製作陣はオスカーという男の子のキャラクターを200%間違えています。彼はあんなに泣きわめいたり、叫んだり、あからさまに「僕は繊細なんだ」アピールするような子ではないのです。

・悲しみも苦しみも表現出来ない子だからああいう行動に出る訳で、何かスタート時点で間違えている。トーマス・ホーン君はきっと、原作通りのロー・テンションなオスカーを演じても、ちゃんと彼の内部を伝えることが出来た子だと思うのですよ。

・また、オスカーがとある理由で訪ねる「ブラック」という名字を持つ人々のエピソードの八割は、エリック・ロスの創作です。でもこれがサフラン・フォアが書いたオリジナル・エピソードより優れているかというと…ねえ、エリック・ロス、何であそこは原作の話使わなかったの? 単にそれって脚本家のエゴじゃね?

・そしてエリック・ロスの改変の最たるところといえば……何だよあのブランコの挿話。原作だけを読んだ人はここで「ブランコ? ブランコって何の事?」状態だし、映画だけ見ている人は「え? ブランコの話は原作にないの?」ってなるよね。だって映画はブランコの話を中心に肉付けされているし、ラストの着地点もブランコだから! つまり映画版の「ものすごく~」はジョナサン・サフラン・フォアの小説とは関係ない、エリック・ロスの父息子感動ストーリーなのです。

・ブランコのエピソードに感動した人には悪いが、あそこ、猛烈に説明的でダサい…

・今回の映画で知りました。映画全編に盛り上がり系のスコアがうるさく鳴り響く、あれってエリック・ロスの脚本に書き込んである演出なんだなって。あと、主人公が出逢った人々が次々出てきてカメラに向かって微笑むシーン。あれも書き込んであるんだな…。『ベンジャミン・バトン』の時、何でフィンチャーはこんなダサいことするんだと思ったものでしたが。

・ああそして、エリック・ロス版の(フィンチャー版とは言わない)『ベンジャミン・バトン』を見た人のうち、どれだけの人がスコット・フィッツジェラルドのせつなくはかない、真実の『ベンジャミン・バトン』を読んだのでしょう。エリック・ロスの脚本って観客の涙を絞って満足させてしまうところがあるので、『ものすごく~』も映画見た人が「小説も読んでみよう」って流れにならなそうなのですよ。それが本当にいや。

・映画に感動した人は原作を手に取らないだろうし、映画を見てけってなった人(←なる人がいて当然だと思う)は、原作も馬鹿にするだろうしね。

・それと、ロケハンも街の撮り方も問題ありです。9/11とニューヨークの物語なのだから、もっと土地勘がある人が監督を務めるべきでした。オスカーの暮らすアッパー・ウェスト・サイドがニューヨークのどこらへんにあり、彼が公共交通機関を使わずにブルックリンのフォートグリーンに行くのはどれだけ大変なことなのか、映画を見ていてもちっとも伝わりません。ただでさえ「子供とニューヨーク」というジャンルには傑作が多いのだから、もっと考えるべきだった!

・『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』は本当に驚きに満ちた素敵な小説です。私は9/11をテーマにしたニューヨーカーの小説を何冊か読みましたが、これがナンバーワンで他とは別格だと胸をはって言います。何故なら、ジョナサン・サフラン・フォアは9/11を「古い価値観の終焉」と捉えていないからです。「全て失った(スーパーリッチな)人々が本当に大事なものを見いだす」というクリシェではなく、もっと違う、新しい地平から、マジカルに9/11とニューヨークを描いた。そこには新しい風が吹いています。残念ながら、映画版にはその風が吹いていないのです。原作のどこを削ろうが、人物をまとめようが、主人公のキャラが改悪されようが、それはどうでもいいことなのかもしれない。風が吹いていない、それが全てです。

・ジョナサン・サフラン・フォアのような作家が同時代にいるということを知るだけで、私はアメリカ映画の見方も大分違ってくると思っています。小説も映画も音楽も、全ての文化は絡み合って進化しています。

・私は日本の映画ファンはもっと文学を読んで欲しいし、文学好きにはもっと映画を見て欲しい。そして音楽を聞いて、美術館に行って、劇場に行って、もっと色んなジャンルに興味を持って欲しい。様々な文化がクロスオーバーする、そこに豊かさがあります。それを見落とすと、語れない映画や小説もあるのです。


 あ、映画版の『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』のいいところも最後に挙げておきます。オスカーの地図やファイルやスクラップ・ブックです。あれを制作した人はグッドジョブ。