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神保町シアターで『阿寒に果つ』を見た。
渡辺淳一の原作を読んでから、ずっと見てみたいと思っていた映画だった。
北海道の天才少女画家・時任純子。
阿寒湖畔に春が来て、彼女の美しい凍死死体が発見される。
誰に抱かれても心を許さず、燃えることがなかったという純子のモデルは、実在の少女画家・加清純子である。彼女は高校三年生の時に行方不明になって、春に阿寒湖で発見された。
小説の方は高校時代、ませた同級生だった純子に翻弄された田辺俊一(ナベジュンアルターエゴ)が、彼女を抱いた男たち(+近親相姦の関係にあった姉)を訪ねて、彼女との関係を問いただしては、それをそのまんまレポートのように描くという形がとられている。
純子の師匠で妻子持ち、彼女の初めての男である画家、彼女の姉と恋人関係にありながら妹である純子も抱いていた新聞記者、純子が自殺未遂をした時に助け、その後文通をしていた医者、左翼運動をしているカメラマン、みんな口をそろえて純子は俺を一番愛していた、彼女の真意は自分が一番理解していたと言う。
死ぬ前に、男の家の前に積もった雪に真っ赤なカーネーションを挿して去っていく純子。
誰に抱かれても心ここにあらずといった冷たい少女であった純子。
もうベタなくらいのロリータでファム・ファタールである。
これを映画版で演じたのが、現・中村雅俊の妻・五十嵐淳子こと五十嵐じゅんだ。
小説版は渡辺淳一の才能の限界のせいで、物語として膨らまなかった感があるが、映画版は最高だった。何というか、俗で、空虚で、甘ったるくて、それ故の歪んだ美しさがあるというギルティー・プレジャー的な作品である。
シンセがシルキーな真鍋理一郎のスコアもフランシス・レイっぽくてよければ、名匠・木村大作が撮った冬の北海道も美しい。でもその美しさがどうにも通俗的で、逆にその通俗的な感じがたまらないのだ。デヴィッド・ハミルトンのソフトコア・ポルノや、ロジェ・バディムの映画に共通する魅力を感じる。
もちろんその「通俗の極みの美しさ」を背負っているのは、ヒロインを演じる五十嵐じゅんである。ガラスのようにキラキラ光る瞳に愛くるしいルックス、でもまったく中身を感じさせない、人形の美。しかも、この人形はどこか汚れている。時折、『キャンディ』のエバ・オーリンに似ている時もある。焼き鳥屋の煙越しに彼女がボッティチェリの複製画を見るシーンがあるが、五十嵐じゅんの美しさはまさにそんな感じなのだ。煙と油に汚れたボッティチェリのビーナス。しかも、複製によってコマーシャル化された。
『阿寒に果つ』は五十嵐じゅんの「汚れた美」を心ゆくまで堪能できる、暗いアイドル映画である。真っ赤なコートを着て雪景色の中に消えていく純子(五十嵐じゅん)。白い籐の椅子に膝を抱えて座る純子。スキー場のスロープの横に座り込む純子。そしてタートルネックのセーターを脱いで、青く固そうな乳房を見せる純子。この映画のスチール集があれば欲しい。
中でも美しいのは、ソフト・フォーカスの映像で姉と絡み合っている純子である。中越典子にちょっと似たスタイリッシュな美人の姉、誰かと思ったら二宮さよ子だった。このシーン、あと五分長くてもノー・プロブレムだった。
他に純子と絡む男はちょっとうーん。意外といいのが、渡辺淳一のアルター・エゴを演じる三浦友和。清潔な好青年で、どうせなら彼と絡めば良かったのに、キス止まり。三浦友和は三浦友和であるからして、肝心な時に眠りこけていて童貞脱出のチャンスを逃すうっかりキャラなのである。まあ「そういうこと」はみんな百恵のためにとっておいたのだろうが。
どんよりと曇り、三月の終わりだというのに一瞬雹まじりの雪が降った日にこの映画を見られて良かった。
いよいよ来週の三月二十六日から千駄ヶ谷のメディア総合研究所にて「『セックス&ザ・シティ』の文化史」という四回シリーズの講座が始まります。毎月第四金曜日午後七時半〜九時半まで。一コマ三千円で、四回通期で申し込むと一回サービスで九千円になります。
一回目のお題は「ダイアナ・ブリーランドとアナ・ウィンターの間にある映画史」。
キーワードはアメリカン・ヴォーグ、カーメル・スノウ、『パリの恋人』、オードリー・ヘプバーン、リチャード・アヴェドン、スージー・パーカー、ドリアン・リー、マリリン・モンロー、『ティファニーで朝食を』、ブリティッシュ・インベイション、イーディ・セジウィック、パティ・スミス、『アグリー・ベティ』、『プラダを着た悪魔』。そしてテーマは「たかがファッション雑誌が誰かの人生を永遠に変えてしまうこともある」
とても力を入れている講義なので、来て下さると嬉しいです。
「FRaU」の映画ページでキャリー・マリガン、アナ・ケンドリック、エレン・ペイジなど、映画界の新しいヒロインである若手女優たちについて書きました。
「本の雑誌」と「FRaU」の連載で紹介した本は以下の通りです。
『崩壊』オラシオ・カステジャーノス・モヤ
『天啓を受けた者ども』マルコス・アギニス
『マーシィ』トニ・モリスン
『ボート』ナム・リー
『高慢と偏見とゾンビ』ジェイン・オースティン&セス・グレアム=スミス
『グリニッチヴィレッジの青春』スージー・ロトロ
『秘密』P.D.ジェイムズ
『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』
日曜日、アピエのイベントのために大阪に行ってきました。
会場である中崎町のitohenというギャラリー・カフェがとにかく素敵で、それだけで来て良かった! と思ってしまった。
京都に行ったら恵文社、くらいの勢いで大阪に行ったらitohenと言いたい。
リトル・マガジン「Apied」のために山下陽子さんが描いた銅版画やコラージュを展示する企画展は、小規模だけどとても豊かなものでした。マドレーヌ、ギモーヴ、華奢なウサギの形をしたクッキーといただいた焼き菓子はどれもおいしくて、次は是非とも京都にあるアピエのカフェにお邪魔しようと決めました。
素敵な空間で映画の中で「本を読む」行為として表される「本を詠む」ことのエロティックさ、「ピクニック」のスーザン・ストラスバーグや「ギルモア・ガールズ」のアレクシス・ブリデルのことなどを話しました。
来て下さった方々に心より御礼を言います。
帰りの新幹線で、itohenで買った『通勤電車でよむ詩集』を読みました。
これ、素晴らしいアンソロジーだった。
編者である小池昌代さんによる、各詩の短い解説がまた良いのです。四元康祐の「言語ジャック」という詩、すごかった。新幹線に乗って読んでいたのでゾクっとした。
私は電車で通勤していないけど、実際に通勤電車でこれを読む人は幸せな気分になるのでは。
itohenで買うとイラストを手がけたイトウユーコさんのサインが入っています。それとやはりitohenで手に入れた「Osaka Field trip」はめちゃめちゃいい街案内本! これを片手にまた大阪に行きたいのです。
エコール・ド・プランタンの講座、「セレブと映画」は今週日曜日です。まだ席に余裕があります。是非ともいらしてください。
各時代、どんな人が(映画の中で)セレブリティとして扱われてきたのか。どんな風に描かれてきたか。映画人ではないセレブリティが本人役で特別出演している作品を含め、映像資料を交えて色々と解説していきたいと思っています。
時間は午後二時から午後四時まで。場所は銀座プランタンのモード館五階。受付の電話番号は03(3567)7235になります。
AERA別冊の『しあわせに、働く』で本のレコメンドをしています。
Numero Tokyo 四月号の「新ヤマトナデシコ育成講座」で選書をしています。
CDジャーナルのウェブで新ディズニーアイドル御三家について長谷川町蔵君と対談しています。
『文藝別冊 加藤和彦』に参加させてもらいました。
安井かずみとの関係について。
加藤和彦・安井かずみの夫婦については、拙書『ブック・イン・ピンク』の中でもコーナーを作って書いています。
安井かずみは女性作詞家のパイオニアであり、彼女自身の別冊があって然るべきだと思うのですが、どうでしょう。
権利問題を気にせず歌詞を文中に引用できるのなら、もっと時間をかけて彼女の詞の世界を分析してみたいとも思いました。
以下、字数の関係で書きたかったけどはぶいたことをいくつか。
・ananの最終ページのエッセイが、まだ林真理子ではなく森瑤子だった時代のこと(多分私は中学生)。
森瑤子が、自分が「センスが良くてお洒落な作家」だという世間の印象は間違いである(→本人が世間の印象を見誤っている、という意味ではないらしい)。自分は「センスが良くてお洒落な森瑤子」というのを、取材の人や編集者が来る時だけやってみせているのであって、普段は髪を振り乱して原稿を書いているだけで、お洒落でも何でもない。というようなことを書いている回があった。
本当にお洒落な人は、人の目がなくても素敵な格好をしているものだが、そういう人は滅多にない、と森瑤子が友人に言ったところ、その友人がお隣に住んでいる奥さんの話をした。その人は午後になると庭にテーブルと椅子を出し、完璧なテーブルセッティングをして、絹のドレスをまとって一人でお茶を飲んでいる。誰か観客がいるから装っているのではなく、ただ自分自身のためだけにそういうことをしているのだ。
この「隣の奥さん」が誰かというと…もうお分かりですね、安井かずみです。ただ作詞家というの超えて、私が「安井かずみ」という名前を意識したのはこの文章を読んだ時が最初だと思う。
・安井かずみと加藤和彦がテニスをしていたことは有名だが、二人の生前、加藤和彦はかずみとダブルスを組むのはもうやだと言っている。かずみが負けず嫌いなんで、疲れるのだそうだ。
・安井かずみの唯一の小説『エイプリル組曲』のヒロインはかずみ自身がモデルであり、ヒロインの友人は加賀まり子そっくりであるが、加藤和彦をベースにしたと思しき人物はヒロインの夫でも恋人でもない。兄なのである。ヒロインと兄は近親相姦の関係にある。二人の間にある緊張感が印象的だった。かずみにとって和彦はあまりに近い、恋人や夫、仕事のパートナーという枠にはまらない、「もう一人の自分」くらいの存在だったのではないか。
「サウンド&レコーディング・マガジン」を読んだら、かずみは和彦の歌入れに立ち会って、色々とレクチャーしていたと書いてあった。(かずみと組んでいた時の)和彦の歌がどんどんシャンソンっぽくなるのはそれが原因かなあ。
この原稿を書くために『それから先のことは…』から『ボレロ・カリフォルニア』までの加藤和彦のアルバムを聞き直した。『マルタの鷹』と『ボレロ〜』以外、我が家はアナログ盤で揃っております。改めて聞くと『ヴェネチア』がいい。デジタルなのにゴシックで耽美、金子国義のジャケットも迫力がある! そして『マルタの鷹』は傑作。全部捨てがたい。ものすごくクセのある歌い手だけど、ボーカリストとしては山下達郎より大瀧詠一より加藤和彦が好きだ。ということを再確認した。
加藤和彦と結婚後、ほとんど彼以外と仕事をしていないかずみだが、笠井紀美子のアルバム『Tokyo Special』での彼女のワークは非・和彦仕事の傑作であります。