
どの世代でも自分たちの世代は特別だと思っている。わたしの祖父母は町に馬車があったのを覚えているというので、両親は“大恐慌”を体験したということで、特別だと思っている。三十歳以上の世代は“アカ狩り”と朝鮮戦争を知っていて、ボビー・ソックスをはいた女の子とビート族を知っているから特別なのだ。わたしの姉が特別なのは、ティーンエイジャーと呼ばれた最初の世代に属していたので特別なのだ(それまでは、十代はアドレセントと呼ばれていた)。それに当時は、ティーンエイジャーであることがまだ楽しかった。そしてわたしはその中間にはさまれている。わたしの世代は“満たされない期待”の世代なのだ。
ジョイス・メイナード『19歳にとって人生とは』
『17歳の肖像』こと『An Education』を観た時、私はジョイス・メイナードのことを思い出した。(『An Education』について以前書いた文章はこちら)
六十年代終わり、まだ十代の時に「セブンティーン」「マドモアゼル」などに大人びた文章を寄稿して有名になり、サリンジャーの目にとまった美少女である。
天才少女として注目され、メイナードはイエール大学に進学するが、サリンジャーとの文通の後、彼女は大学を辞めて彼が隠遁生活をおくるニュー・ハンプシャーへと向かう。そこで十ヶ月サリンジャーと暮らし、作品集『19歳にとって人生とは』を発表した。そしてサリンジャーに捨てられ、19歳にして彼女は何もかも失った。かのように感じた。
その後、彼女は成長して身を立て直した。もう天才少女ではないけれど、ちゃんとプロの作家になった。ガス・ヴァン・サントが映画化した『誘う女』の原作は彼女の作品である。99年、彼女はサリンジャーとの思い出等を綴った『ライ麦畑の迷路を抜けて』を発表する。同時期にサリンジャーのラブレターをオークションにかけてスキャンダラスな話題になった。
『17歳の肖像』の原作者リン・バーバーとジョイス・メイナードの共通点は、年上の男に求愛されて、若い内に何かを手に入れたような気持ちになって、一度全てを捨ててしまったところにある。普通の少女たちのようにステップを踏まず、手に入れた王冠は、それを授けたかにみえた男の手でひょいと取り払われ、大人びた少女は次にのぼる階段を失った、途方の暮れた子供に戻された。
もうひとつ、似ていると思ったのは親との関係である。原作では、リン・バーバーはお金のある年上の男との関係を歓迎することによって、両親に「売られた」と感じる描写があるらしい。メイナードも母親の手によって天才少女として売り出され、伝説的な作家とのつきあいに母親自身が押し出した。
『17歳の肖像』は期待通りの作品だったが、年上の男に捨てられた後、ヒロインがもう一度自我を築くまでの過程をもっと丁寧に描けば、更にいい作品になったと思う。そこらへんが駆け足なので、人によってはあのラストは「恋愛よりも教育が大事」という意味なのだと誤解する人もいるかもしれない。でも、何より大事なのは少女が一度バラバラにされてしまった自分というものを一から作り直したという点で、そうして手に入れた物は、もう誰かによって奪い去られたりしないという点なのだ。
『17歳の肖像』でヒロインは高価なドレスをプレゼントされても、ずっとつけている小さな金色のハートのペンダントを手放そうとしなかった。それが彼女自身だとでもいうように。












