2009年12月30日水曜日

今年買って良かった洋書ベスト10



 前にくわしく感想を書いていないものについては一言コメント入れておきます。



感想はこちらこちら。未訳であるなんて許されない大傑作だと思う。


 感想はこちら。サイモン・ヴァン・ボーイはカーディアンに書いたクリスマス・エッセイでも英米文化系女子の涙を絞ってくれた。




 カメラマンとフード・コラムニスト。4年間の恋愛関係にピリオドが打たれるまでを、二人の間で交わされたプレゼントやカード、おみやげ、記念品などで振り返るオークション・カタログ。その発想も素晴らしければ、マジで入札したいほど展示物のセンスもいい。今時の文化系カップルらしい風俗満載。でも、自分勝手で大人になりたくない男と、自分を理解してくれないとキーッとテンション上がっちゃう女の関係性はリアルで痛い。ナタポが映画化権買ってブラピと主演するって言っているけれど実現するかしら? LEANNE SHAPTONは『Was She Pretty?』も良かった。



 本当は買ったのは去年だけど、読んだのは今年なので。ひとつひとつの短篇に異なるアーティストがイラストをつけている贅沢なコラボ本。FRaUの読書号でも紹介した。人の悲しみに感応するミニチュア象の話、彼女の胸の中に発展する町が出来てしまう『うたかたの日々』風悲恋物語、キスをすると雲に変身してしまう妻を描いた変愛譚、自分が顧問をつとめる模擬国連クラブの高校生全員と心中したいと思う孤独なゲイの教師の顛末……この作家らしいセンチメンタル・ストーリーのサンプル集。



 くわしくはここ


 これは読み途中なのでその内くわしく。レイアウトが素晴らしいデザインについてのエッセイ集。


 イタリアの幻想文学者、ディーノ・ブッツァーティが60年代にコミック・ノヴェ
ルを描いていたなんて知っていた? しかもこれが「オルフェ」のロック・オペラ版! ヒップでグラマラスでエロティックでシュールでグロテスク。でもどこか素人っぽくて、筒井康隆のマンガを思い起こさせる。今年の復刻大賞。現在、新古典部門ではぶっちぎりの趣味の良さを見せるNew YorkReview Books Classic、会心の一冊。



 ノラ・エフロン、ステファン・コルバート、ニコ・マーリー、ニコール・クラウス、フィリップ・グラス、トム・ウルフ、アニー・リーボヴィッツ…。様々なニューヨーカーの窓から見える風景を描いたイラスト集。ビースティー・ボーイズのアルバム「To the 5 Boroughs」のジャケでお馴染みのアーティストの作品。一部はこちらで閲覧出来る。
 くわしくはこちら


 ノーマン・ロックウェルはモデルがいないと絵画を描けない人だった。そんな彼が写真を導入し始めたのは30年代。完璧なディレクションを施して撮られたモノクロ写真の数々は、ロクウェルの「演出者」としてのきめ細やかさだけではなく、ロックウェルのイラストが体現した「アメリカの美」を感じさせる。元ネタとなった写真と実際の絵画を見開きで見せる構成が楽しく、また興味深い。ジョン・ヒューズとの共通点を改めて見出したり。ところで、
『フィルモアの奇跡』のジャケットがノーマン・ロックウェルの作品だって知ってた? 

今年最後に聞くCD(予定)


 毎年いまごろ、年の終わりに聞くCDを買う習わしなんだけど、今年はもう決まっている。
 インターネット・ラジオでボーカル・ジャズの局をボンヤリ聞いていた時に、アニタ・オデイが歌うラテン版の「Love for Sale」が聞こえてきて、かっこいいなあと思った。バックも最高だ。でもラテン・ジャズでも
『Time For Two』には「Love for Sale」は入っていないし、『Anita O'day Swing Cole Porter with Billy May』に入っているバージョンとも違う。
 何だろうと調べていたら、
これであることが判明した。



 これは1963年の12月30日にTBSで放映されたライブを収録したもの。年の瀬にアニタ・オデイのスタジオ・ライブを流すなんて、当時のTBSって素敵。バックは宮間利之ニューハードと猪俣猛&ウエストライナーズ。リージョン1ですが、
DVDでも手にはいるようです。
 アニタ・オデイで華やかに2009年を締めくくりたい。

 「Live in Tokyo」の一部。当時のテレビって大人! 一流!


2009年12月26日土曜日

和製アグリー・ベティ



 BSで第三シーズンが好評放映中の『アグリー・ベティ』だけど、もともとはこれ、メキシコの番組だったのをフランチャイズでアメリカが買ったものなんだし、中国では中国版を作ったんだから日本でもやればいいのに! と常に思っている。

 キャストは ベティ→鈴木杏(メガネと矯正器が似合う) ダニエル→徳井義実 ウィルミナ→夏木マリ というところまでは決まっているんだけど、肝心のマークとアマンダが思い浮かばない…というか、なかったのだが、マークにぴったりの人材がいたよ。

 サバンナの高橋。

 この間の回で、マークがベティに話していた処世術が、高橋が「アメトーク」で話していたものとほぼ一緒なんで笑った。

 マーク役のマイケル・ユーリのいい話

 1.本来はウィルミナのアシスタントは回ごとに変えられる予定だったが、ウィルミナ役のヴァネッサ・ウィリアムズの鶴の一声で彼に固定されることが決まったので私生活でもウィルミナ(ウィリアムズ)に頭が上がらない。「People」誌の「美しい50人」にヴァネッサ・ウィリアムズが選ばれた時は、彼女をフェアリー・プリンセスに例えた太鼓持ち文章をマイケル・ユーリが担当していた。「猫のようになつきますから〜」

 2.私生活でもアマンダ役のベッキー・ニュートンと大の親友で、撮影中「カット」の声がかかってもずっとお喋りをしていて怒られたことがある。

 3.セクシャリティを公表していない。(ということは、思いっきりヘテロなんだと思う)


 それと、ダニエル役のエリック・メビウスの映画デビュー作が『ウェルカム・トゥ・ドールハウス』(兄貴がバンドに連れてくるイケメン・ボーカル)だったと知った時、この人はメガネ矯正器ブスになつかれる人相なんだと思った。


  いや、「アグリー・ベティ」の話がしたかっただけ。


 溜まってしまった洋書の紹介をやりたいのだけど、最近、半日〜1日後には別サイトでネタがパクられていたりして、ううむうなのです。いや、広がることはいいことなのだけど。

2009年12月24日木曜日

2009年の映画を七分間で振り返る

 メリー・クリスマス。
「アレやコレが入っていない」って声は聞こえてきそうですが、グレートな編集です。




 昨日見た『アバター』で今年の新作映画は打ち止めかな。
 というわけで、今年観た映画で心に残った五本を。

・ジュリー&ジュリア
・コララインとボタンの魔女
・マイレージ、マイライフ
・ヒットマンズ・レクイエム
・Quiet City

 いい映画だ、偉大な映画だ、と呼ばれるものは多かった年だけど、これは「私の」映画だなと思えるものは少なかった。『ラブリー・ボーン』にも(そして恐らくバートン版の『アリス』にも)なかったものを『コラライン』で見つけて最後に救われた感じ。
公開は3-Dで吹き替えオンリーなので、私が見たダコタ・ファニングのオリジナル声優版はDVDでお楽しみ下さい。そしてThey Might Be Giantsが歌う「もう一人のパパのうた」はサントラで。でも絶対絶対劇場で3-Dで見るべき!

2009年12月18日金曜日

ウィンプスター再録

 リブロさんのつぶやきに応えて(他にもリクエストがあったので)07年に書いた「Whimpster」の記事を再録します。


 ウィンプスター。

 泣き虫とヒップスターをひっかけたこの造語が表すのは、どんな種類の男子なのか。

いつか役に立ついろんなムダ知識が詰まっている本、『ハイスクールU.S.A.』の注釈を引用しておこう。


フェミカルチャー誌『Bust』が名づけた、自己中心的でナイーヴな文化系男子の総称。カレッジ・チャートとお洒落小物に目がなく、実年齢よりも若作りなファッションを好み、実は女性嫌い。


特色としては


一見優しそうだが、彼女が自分よりも強そうな男に絡まれていたら助けない/スポーツを憎んでいる(体育が苦手)/高学歴なのに定職につかない/サリンジャーを愛読/ブライアン・ウィルソンと自分の区別がつかない/フリッパーズ・ギターの悪口を言われると涙目で怒る


などがある(一部嘘)


 『Bust』に「ナードの皮をかぶったオオカミ、ウィンプスターにご用心!」という記事が載ったのは、04年夏のことだった。(「エモ・ボーイ」と但し書きあり)

 雑誌を越えて定着するまでには至らなかったが、当時は雑誌のサイトのフォーラムには「OMG! 私が前つきあっていた男がこれにぴったり当てはまるわ!」というカキコミが殺到し、私が飲み会や打ち合わせ、茶飲み話でこの記事の話をすると、「マジ? アメリカにもそんな男子がいるわけ!」といろんなタイプの女子が激しく反応し、様々な実体験によるディテールがウィンプスター像に付け加えられたものだった。

 記事を思い出してみよう。


 エモの、じゃなかったウィンプスターの殿堂入りを果たした男子は


モービー/ジョン・キューザック/ブライト・アイズのコナー・オバースト/カウンティング・クロウズのアダム・デュリッツ/『スウィンガーズ』におけるジョン・ファブロウ/『プリティ・イン・ピンク』のダッキー/イーサン・ホーク/『O.C.』のセス/『アニー・ホール』の男…(09年、この殿堂に『(500)日のサマー』のトムが加わった)


 アメリカでは、マッチョな男子が日本以上に多いので、ウィンプスターは最初、文化系女子にとっての王子様に見える。ところが残念ながら、つきあっていく内に彼がマッチョ以上にマッチョであることが判明する。


 恋の魔法にかかっている内は、ウィンプスターは「ナードでキュートな男子」に見えるが、別れてみると「正直、ナヨッとしていてキモかったし、ルックスも(彼自身が思っているほどには)良くなかった」と誰もが口にする。

 そして付き合っている間は、いろんな不自由を強いられたと。

 デートといえば、彼女の部屋でゲームをするかアニメを見るか。彼女の部屋でゴハンその他を済ますので、自然と女子にいろんな金銭的な負担がかかることになる。そのことを言い出すと「お金の話をするなんて汚い!」と逆ギレする。

 逆ギレは得意中の得意で、セックスが上手くいかなかった場合にも、(こちらが別に責めたわけでもないのに)用いられる。身体能力絡みのコンプレックスが根深い。自分の言ってることを論破されるのは大嫌い。

 ウィンプスターは中性的で自分を威圧しない女子、あるいは性的な魅力に自信を持てない女子が大好物で、そういう娘たちに対してサブカルチャーの知識をひけらかし、支配し、ドンファンのように振る舞う。

 だから、誰かと付き合っても正式にその娘を彼女として他人に紹介しない。うっかりデートしているところを見られても、「最近、よくつるんでいるんだよ」「ミックスCDを交換し合う仲なんだ」と平然と言う。彼にとって大事なのは自分自身だけなのだ。

だからウィンプスターの男の子とつきあっていると、女子は自分に自信も持てなくなるし、重い荷物を抱えているようなプレッシャーに苦しみ、誰も助けてくれないという心細さに襲われる。

「世間では、女の子は男の子より弱いんだから助けてあげなくてはいけないなんてよく言うよね。でも、本当に苦しいのは男子の方なんだ。だって、女子には女子だという大義名分があって守られてのうのうとしているけれど、男子は辛くても誰も助けてくれないんだからね。そういう意味では、女子は強者で男子は弱者だ。だから、君は僕を支えてくれなければいけないし、自分のことでいっぱいいっぱいな僕に自分を愛して欲しいなんて要求するのは卑劣な行為なんだよ」

 というようなことを、ウィンプスター男子は手を変え品を変え女子に囁く。

 それに支配される子もいるが、大抵は途中で理不尽さに耐えられなくなって別れを決意する。

 ところが、ここからがウィンプスター男子の独断場なのだ。


 逆ギレが得意だって言ったでしょ?

「別れを告げて、ナイーヴな僕を傷つけた!」ということは、彼らにとってどんな報復手段をとっても許される大義名分になる。

 それまでの行動で、「自分は彼に愛されていなし、大事にもされていない」ということが身に染みている女子は驚くが、別れを告げた途端、すごくピュアに愛情を注がれていたことにされてしまうのだ!

 まずは、半ば裏返った涙目声で、電話でえんえんと責める/ストーカー/醜聞をまき散らす/詩を書く/ブログに書く/捨てられたことをモテ要素にしようとする/次の彼女まで愚痴は持ち越す/次の彼女にも前の彼女の悪口を言う/何年たっても別れを告げられた日の屈辱と悲しみを執念深く忘れない/借金は返さない/でも貸した本やレコードのリストは忘れずに、そのことを口実に会おうとする/会いたくないので断ると半ば裏返った涙目声で、電話でえんえんと責める/ストーカー…


 私ね、この記事読んだ三年前(←07年当時)にも抜粋メモを書こうとしたけど、暗い気持ちになってやめたんすよ。

 今も気が滅入ってきたんで、これでもうやめたいと思います。

 ウィンプスターが何故ウィンプスターになるかっていうことは、男子が自分で掘り下げてくれればいいと思う。

 この記事の話をした時、すごく反応したのが柴田元幸先生だった。ちょうど来日中のレベッカ・ブラウンを囲む飲み会の時にこの話になって、柴田先生が彼女に「バストっていうマガジンを彼女(山崎)が読んだところによると、アメリカにはマッチョか、メトロセクシャルか、ウィンプスターの三種類の男しかいないんだって。どう思う?」と聞いたところ、「男には四種類いるわね。マッチョか、メトロセクシャルか、ウィンプスターか、モトユキ・シバタのようなロックスターか!」とレベッカがギターの引き真似したのが04年晩秋の思い出。

そうね、私も日本の女性誌向けにこの記事をブラッシュアップするとしたら、「世の中にはもっと違う男子もいるから、ウィンプスターで我慢しなくてもいいの」という希望を付け加えます。


追記:現在、Tumblrで何故か「世間では、女の子は男の子より〜」の部分だけが引用されてリブログされているが、私は「この手の言い草を!」っていう例で書いたんであって、この部分が主張のように流れていくのに複雑な気持ちを抱かずにいられない。だって、この言い草に共感者が多いってコトでしょ!?

Vogueのインディ・ロック・シューティング










(from ohnotheydidnt

 今号のアメリカ版Vogueはすごい。
 これは買いでしょう。
 ファッション・ページに登場したのはヴァンパイア・ウィークエンド! ベイルートのザック・コンドン! アダム・グリーン! チェスター・フレンチ! MIKA! MGMT!ホラーズ! ゴールデン・シルヴァーズ!
 ページ数をさいているのが売れているミュージシャンと限らない、というこの並び(
チェスター・フレンチ売れてません! 好きなのに!)。やはり最終判断を下すアナ・ウィンターが「ファッショナブルな子から順」に選んでいったからなのだろうな。『ファッションが教えてくれること』を思い出す。「でもヴァンパイア・ウィークエンドの方が売れていて人気があるんですよ!」「だから?」みたいなやり取りがあったに違いない。
 それにしてVogueというよりTeen Vogueみたいっていうか。Oliveみたいっていうか。

チェスター・フレンチによる「She Wolf」のカバー。好きだ!



2009年12月11日金曜日

営業報告

 現在発売中の「FRaU」の映画号で、年間ベストの座談会に参加、80年代ガールズ・ムーヴィーの特集もやっています。
 私のベスト20ですが、今年12/5までの劇場公開作が対象ということで、『(500)日のサマー』『かいじゅうたちのいるところ』、DVDスルーだった『ヒットマンズ・レクイエム』、アンケートを取った段階では未見だった『イングロ』などは入っていません。
 そして本来ならば私のベストワン映画だった『ジュリー&ジュリア』も、公開が今週の土曜日に延びたのでエントリーせず。パンフレットにコラムを寄せています。いいパンフレットなので、劇場でお買い求めいただけると嬉しいです。
 その他「FRaU」の読書日記と「本の雑誌」の新刊レビューで取り上げた本は以下の通り。
 ケイト・モートン
『リヴァトン館』
 ブノワ・デュトゥールトゥル
『幼女と煙草』
 ヤスミナ・カドラ
『昼が夜に負うもの』
 アティーク・ラヒーミー
『悲しみを聴く石』
 ジュリア・パウエル
『ジュリー&ジュリア』
 林洋子
『藤田嗣治 手しごとの家』

『藤田嗣治 手しごとの家』は、コンパクトなのにとても贅沢なビジュアル・ブックで、感心した。乙女新書ですよ。
 来年の三月七日に行われるエコール・ド・プランタンの講座、「セレブと映画」は受付中です。受付の電話番号は03(3567)7235になります。

和製MADMEN



 この間、神保町シアターで田宮二郎の映画を見てきた。
 『勝負は夜つけろ』と『「女の小箱」より夫は見た』。
 両方面白かったけれど、特に『勝負は夜つけろ』は良かった! スタイリッシュな画の連打。田宮二郎は義足で杖をついたハード・ボイルド・ヒーローで、倒錯的な魅力があってしびれた。登場人物のひとりが殺されるシーンには、何故か「エラリィ・クィーン・マガジン」とポケミス本が散らばっていて、思わず身を乗り出したが書名は確認できず。分かったのは
『ブラウン神父の醜聞』くらい。あと冒頭に「死」の文字が確認できたものが一冊。 
 『夫は見た』も、もちろん面白いんだけど私は田宮二郎が負けるところは見たくないんだよね。彼を好きになったのは『女の勲章』で、あれはいろんな女を食って勝ち上がる役だったから……八角メガネがあんなに似合うのは田宮二郎と『トーマの心臓』のサイフリートだけです!
 もし日本で『MADMEN』をやるとしたら、ドン・ドレイパーをやるのは設定年代と同じ時期にスターだった田宮二郎しか考えられない。
 「……さん、アナタの言う恋愛なんてものは、私のような広告屋が作り出した幻想なんですヨ」 ああ、今、バーチャルではっきりと田宮二郎の声でドレイパーの台詞が聞こえた!
 そうなるとロジャー・スターリングは森雅之、彼と不倫関係のセクシー・ダイナマイトのジョーン・ホールウェイは若尾文子、親のコネで会社に入ってきた野心家のピート・キャンベルは、オリジナルよりもやや正義感の強い設定にして川口浩、彼と関係を持つドレイパーの秘書ペギーは野添ひとみ、ドレイパーの妻でクール・ビューティのベティには岸恵子、クライアントの娘でドレイパーと不倫関係になるレイチェルは顔が似ているから江波京子…大映内で全然キャスティング可。永田社長が好きそうな話だし。ロバート・モースの役だけ、東宝から森繁が特別出演で。タイトルはもちろん『黒の虚業』…ダメだ、あまりにナチュラルにはまりすぎてパロディにすらならない!

2009年12月7日月曜日

アメリカン・ビューティー




 子どもビューティ・ペイジェントの写真集、
『HIGH GLITZ』




(form HIGH GLITZ)



 序文をサイモン・ドゥーナンが書いているってところで、もう狙いは分かる。
 「リベラーチェやエルビス的な魅力よね」
 ジョンベネ! リトル・ミス・サンシャイン!
 どうしようもなく醜悪だけど、同時に歪んだキッチュな美しさも感じてしまう。
 本の中に出てくるティアラのバリエーション写真は可愛い。


2009年12月6日日曜日

サイモン・ヴァン・ボーイを紹介します




 この前紹介した『愛は冬に始まる』の著者、サイモン・ヴァン・ボーイは小説を書いていないとき(それと大学で講義をしていないとき)は何をしているか。


・娘の人形に着せる服をデザイン、裁断、裁縫

・三分写真のコーナーを通りかかったかならず娘と写真を撮る

・公園のベンチに座って鳥に餌をやる

・必要にせまられてではなく、ただ好きだから本を読む

・一人で旅をする

・バッハを聴く

・空港内を散歩

・走る

・60年代のイタリア映画とフランス映画を見る

・本格的なディナーを作る


 ……さすが、日本人だと団塊ジュニアにあたる年代にもかかわらず巻き毛を七:三というか六:四に分けてツイードのジャケットを着ているだけはある。

 でも何で娘の人形の服まで作るのか? 

 それはサイモン・ヴァン・ボーイが妻に先立たれたシングル・ファーザーで、娘のマデリーンちゃんを男手ひとつで育てているからだ。

 『愛は冬に始まる』は亡くなった妻、ローライリーに捧げられている。

 「君はここにいる、そうでなかったら何故君がいたるところにいるというのか」

 ローライリー。不謹慎を承知でいわせてもらうが、「若いうちに亡くなってしまった美しい妻」にこれほどふさわしい名前もない。

 ちなみに、サイモン・ヴァン・ボーイのキラー・コンテンツに「娘カワユスエッセイ」がある。



telegraph UK


 そして事実可愛い! 可愛いぞマデリーン・ヴァン・ボーイちゃん!


 今年五才になったマデリーンちゃんはお父さん思いのおしゃまさんで、「ぱぱ、そのこーでぃねーとはいいけれどくつでだいなしよ!」などと父の服装に駄目出しをするそうである。「僕は自分の靴ひもも結べない娘にファッション・アドバイスをもらっているのさ」

 そしてお父さんが独り身であることを心配し、「ぱぱ、おぺらにいって。おんなのひととであえるわよ」「あたらしいかぞくをつくるといいわ」「こどもがうまれたらわたしがめんどうをみる。ぱぱはなにもしなくていいの」と健気なことを言うのだ。

 マデリーンちゃんはファッション雑誌をめくって「ぱぱのおよめさんをみつけたわ」と言い、青いドレスを着たそのファッション・モデルを見て父は「白雪姫みたいだね」と返す。

 すみません、これはひょっとして……




 このマンガの実写版ではないですか!

 五年後、マデリーンちゃんは知世ちゃんのような小学生になっているに違いない。

 常々、的場信吉はどんな小説を書いているのか疑問に思っていたのだが、そうか『愛は冬に始まる』がその答か。というかこの短編集自体が榛野なな恵のマンガっぽいといえなくもない。

 ヴァン・ボーイ父娘はどうやらブルックリンのグリーン・ポイントにお住まいのようなんですが、あそこだったらアリス・カフェみたいなアンティーク屋兼ケーキのおいしいカフェもありそうだし、古書だのアンティークのおもちゃだのを的場父娘が漁っているのはダンボのフリマだと考えて間違いがなさそうだ(現実とマンガを混同)。

 サイモン・ヴァン・ボーイが(ノートパソコンでもポメラでもなく)タイプライターを持ち込んで仕事をしているというグリーン・ポイント・コーヒー・ハウスには是非とも行ってみたい。(「Tiger,Tiger」にここをモデルにしたと思しきカフェが出てくる)このチョコレート色の革張りソファ席だな。

 フランク・オコナー国際短篇賞の賞金は結構なものだとの噂なので、サイモンさんはマデリーンちゃんに是非このコートを買ってあげて下さい。

 来年はじめ、ペーパーバックで再版される『恋する人々の秘密の生活』も、発売予定の初長編『ギリシアの恋』も楽しみです。

 そして翻訳書を日本で出す出版社は、作者をプロモで呼ぶなら娘込みで!

エズラ君のお宅拝見


(from Spin)

 来日公演も楽しかったヴァンパイア・ウィークエンド。ボーカルのエズラ・クニングが、雑誌「Spin」の企画で自宅を公開。
スペシャルズのポスターもいいが、気になったのはZabar'sのマグカップと大叔母さんのものだというバラライカ。この人はユダヤでもロシア系のユダヤ人なのだね。そしてアッパー・ウェスト派のユダヤ人として、高級デリはディーン&デルーカでもなく、ホール・フーズでもなく、ゼイバーズを選んでいる訳だ。
 気になる本棚に並ぶペーパーバックはP.G.ウッドハウスとイーヴリン・ウォー。大学ではひょっとして英文学専攻? でもこのチョイスは彼らしい。歌詞の世界にも一脈通ずるところがある。
 しかし、それ以上に気になった本は、棚の上に積んであるヘンリー・ロスの『Call It Sleep』である。多分、この
ペンギン版。1930年代に書かれたこの小説は、オーストリアからニューヨークに移民してきた一家の物語で、日本では未訳。『ニューヨーク拝見』(いい本!)で抜粋が読める。
 エズラ君は自分のルーツに大変に自覚的な人のようだけど、ユダヤ人のインテリ青年っていうのはみんなそうなんだろうか。
 ともあれ、サウンドといい、彼は正しくポール・サイモンの後継者ということ。

ロック・アルバム切手




(from Creative Review


 2010年、英国で売り出されるシリーズ。

 アナログ盤がのぞいているところがいい。

 他は

Led Zeppelin - IV

Primal Scream - Screamadelica

Rolling Stones - Let it Bleed

David Bowie - The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars

Pink Floyd - The Division Bell

Coldplay - A Rush Of Blood To The Head

VHS本



 

 もしあなたに「映画秘宝」読者のボーイフレンドがいるならば、今年のクリスマス・プレゼントはこの本で決まりだと思う。(発売日は31日になっているが)
 中身のスライド・ショーはこちらからどうぞ!

2009年12月4日金曜日

エロイーズ!




 プラザホテルに常住している女の子、エロイーズを主人公にしたケイ・トンプソンとヒラリー・ナイトの絵本は乙女のマストアイテム。
 ニューヨークのプラザ・ホテルに「エロイーズ・ショップ」がオープン! 
 お人形やバスローブが買えるんですって!
 この季節にはやはり
『エロイーズのクリスマス』を読みたい。
最近はエロイーズも気を使って「クリスマス」ではなく「ホリデイ」と
言う




 
 原作者ケイ・トンプソンは私が考える最も素敵な女性の一人。『パリの恋人』の編集長といえば分かる?「Think Pink」! 彼女、『メイム叔母さん』の主演蹴ったんですってよ!
 MGMでは歌唱指導も務め、ジュディ・ガーランドをコーチした。ライザ・ミネリの名付け親は彼女だ。
 彼女のアルバム・レコードは私の宝物のひとつ。ポートレートはもちろんヒラリー・ナイト。
ひどいジャケットだけど、「エロイーズ」ソングを含む
三枚組ベストCDが出たのね…。悩むわー。

プラザ・ホテルで歌うケイ・トンプソン。コーラスの一人はアンディ・ウィリアムズ。


2009年12月1日火曜日

愛は冬に始まる




 海外の文学賞で日本の出版社が注目すべきなのは、ノーベル賞などではなくフランク・オコナー国際短篇賞だろう。
 ジュンパ・ラヒリ、ミランダ・ジュライ、ハルキ・ムラカミと日本人好みの作家が受賞することが多いこの賞を今年取ったのが、このサイモン・ヴァン・ボーイの
『愛は冬に始まる』という短編集である。
 サイモン・ヴァン・ボーイは75年生まれ。イギリス生まれで現在はニューヨーク在住の作家だ。『Love Begins in Winter』は彼の第二短編集に当たる。
 アメリカン・フットボールをやるために大学時代アメリカに渡り、その後パリやアテネで英語教師をしていたというヴァン・ボーイは「ニューヨーカー」というよりも、「ニューヨークのヨーロッパ人」という風情だ。ハンサムで、ほんの少し気取った雰囲気がある。
 気になって読んでみた『Love Begins in Winter』は非常にロマンティックでセンチメンタルな愛の物語集だった。ロマンティックもセンチメンタルも俗な言葉だが、彼のセンチメントは上質である。ただ、胸をかきむしられたり、人生が変わるような衝撃を受けたり、深い悲しみに打たれたりすることはない。あくまで上品に悲しげで、上品に甘い。ディテールの趣味もいい。薄いチョコレートのような、ロゼ・ワインのような口当たり。やはりこれは「少女マンガのない国の文学」だ。心地よく酔わされ、何度か目の端に涙がにじんだ。
 表題作の主人公は演奏旅行で世界を飛び回るチェリストである。彼は第二次世界大戦で死んだ祖父のものだった、シチリアのとある静かな村で十八世紀に作られた古いチェロを愛用している。そのチェロとやはり祖父のものだった古い椅子を持ってステージに上がる時、彼はいつも片方だけのミトンをポケットに入れている。それは少年時代、自分の過失で死なせてしまった親友の少女のものだった。彼はいつもその少女の霊を感じてチェロを弾いている。チェリストはビバリー・ヒルズのホテルで一人の女性と会う。彼と同じように、彼女も大事な人を亡くしている。家族でウェールズに暮らしていた頃、幼い弟が誰にも知られず高い木に上って転落した。雪の中から弟の遺体が発見された時、彼女の父は自分の左手を斧で切り落としてしまった。弟は手にドングリを握っていた。その日から、彼女はずっとそのドングリを身につけて生きている。チェリストと目があい、ぶつかった時に彼女は動揺してドングリを落とした。それを見て、チェリストは彼女の喪失感を知る。初めて愛を交わした夜明け、二人は浜辺で凧を飛ばし、最後は糸を離して二人を包んできた孤独といなくなった者の魂を手放す。
 サイモン・ヴァン・ボーイは、傷ついた孤独な人々が同じ浜辺に打ち寄せられた貝のように偶然に出会い、愛が始まる瞬間を好んで書く。
 もうひとつ、くり返し描かれるのは子ども時代の喪失である。「Tige,Tiger」の主人公、小児科志望の医大生である女性は幼い頃に血が出るほど少年の腕を噛んで、ショッキングな形で両親から叱責を受けたことがある。その時彼女は虎で、少年の腕を噛んだのは激しい愛の表れだったのだが、それは理解されることがなかった。「The Missing Statues」では若き外交官がイタリアで彫像が取り払われた後の台座を見たとき、少年時代の記憶が蘇って泣く。ラスベガスで男に騙されて待ちぼうけをくわされた十代の母と幼い自分をゴンドラに乗せて、エンリコ・カルーソのレコードに合わせて歌真似をして喝采を浴びたゴンドラ乗りの思い出である。
 そして失われた愛は幼い少女の形をして戻ってくる。とある理由からアイルランドの丘の上に定住することになったジプシー一家の物語「The Coming and Going of Strangers」で、カナダから来た孤児の少女に恋をした(スミスのファンでモリッシーと同じ髪型にしている)ジプシーの少年は思わぬところで真実の愛を見つける。お目当ての少女には幼い妹がいて、その娘が彼に赤いバケツを差し出して海に連れていってくれるように頼んだのだ。「The City of Windy Trees」では、孤独な男がスウェーデンから思わぬ便りを受け取る。その手紙には父親の存在を知らず、また父親にも存在を知られていない六才になる自分の娘の写真が同封されていた。
 娘の存在を知るまで、その男が興味があった事柄といえば

1.中国の凧
2.チョコレートでコーティングしたレーズンのお菓子の箱を持ってバスローブ姿のまま窓辺に座ること
3.グリーンポイントの小さな名画座で見るヨーロッパのニュー・ウェイブ映画
4.ホロスコープ
5.ベルベットのローファー
6.サーモスに入れた熱いコーヒーを誰もいない公園のベンチで飲むこと
7.中国やロシア、オーストラリアなどから集めた、各国のスヌーピー・フィギュアのコレクション
8.デヴィッド・ボウイの歌
9.ゴダールという名の猫(バスに轢かれて死んでしまい、彼は立ち直れないほどショックを受ける)
10.人々の休日の計画を台無しにするほどの激しい雪

といったものくらいだった。娘に会いにスウェーデンに行く前、彼は交流を絶っていた姉に手紙を出す。「姉さんはまだデヴィッド・ボウイが好きかい?」
 サイモン・ヴァン・ボーイの小説は、ほんの少し照れくさくなるようなこんな描写に溢れているのだが、不思議と歯が浮く感じはない。何故だかしっくり来る。
 それはサイモン・ヴァン・ボーイがまさしくサイモン・ヴァン・ボーイが書く小説のような世界に生きているからだ。
 サイモン・ヴァン・ボーイの驚くような私生活については、次回、くわしく。
 それにしてもやはりフランク・オコナー賞って日本人好み…! 日本でも人気が出ると思うので、一刻も早くどこかが翻訳を出すべき。

営業報告



 来年の三月七日に行われるエコール・ド・プランタンの講座、「セレブと映画」の受付が始まりました。受付の電話番号は03(3567)7235になります。
 発売中のムック
「森ガールvalon vol.1」に森ガールへお勧めの音楽について書いています。
 今回は音楽だったけれど、私が考える森ガール小説は
『リンバロストの乙女』。やはり森ガールたるもの、珍しい蝶を採集して生活費を得るくらいのサバイバル精神がなくては!