2009年10月31日土曜日

ネリー・マッカイの新譜



 ネリー・マッカイのメジャー復帰盤は、(もともとデビュー時に引きがあった)Verveから。彼女がリスペクトしてやまないドリス・デイのトリビュート盤。しかし、ジャケットやブックレットのドリス・デイ・コスプレを見ると、愛しているのが悪意たっぷりなのか分からない。実はネリー・マッカイ、動物愛護運動により、ドリス・デイから賞をもらったんだそうです。そんな訳で、ブックレットには「我動物を愛する」的な有名人の名言集が。
 こういう現行の歌手によるスタンダード歌手のトリビュートっておとなしくなりがちなんだけど、ネリーは編曲者でもあるので、ちゃんと彼女のカラーが出ていて良かった。相変わらずマレット系の楽器使いが上手い。ベストはウクレレで奏でた「メディテーション」と、作曲者への目配せでフレンチ・ホルンを入れたバカラック作の「花は贈れないで」か。前作に続きボブ・ドローも参加。
 一曲だけ入れたオリジナル曲も他のナンバーと比べて遜色のない出来だし、ほぼ満足。出来れば私の好きな息子テリー・メルチャーによるドリーミーなナンバー
「Move over,Darling」も入れて欲しかったけれど。(オリジナルは
ベスト盤で聞けます)でもこちらはトレーシー・ウルマンの名カバーがあるからなあ。

「Normal As Blueberry Pie」レコーディング風景




ドリス・デイの「Move over,Darling」



トレーシー・ウルマンの「Move over,Darling」

2009年10月28日水曜日

サマーが読んでいた本




 『(500)日のサマー』はとてもいい映画だった。
 見る前はプロットから『アニー・ホール』や『ハイ・フィデリティ』のような男子一人称映画を想像していたのだが(ただし、主人公トムのパーソナリティは明らかにこれらの映画に連なる……そう、草食系男子ではなくウィンプスターだ!)、実際によく似ている映画はスタンリー・ドーネンの『いつも2人で』だった。
 『いつも2人で』は、アルバート・フィニーとオードリー・ヘプバーンが演じる夫婦の出会いから倦怠期の十二年間を描く映画である。
 ただし、時間は過去から現在へとまっすぐ流れない。出会い、新婚時代、子どもが出来た後、その時々の2人が倦怠期の2人と同じ路上でドライブをしているという不思議な構成になっている。
 『(500)日のサマー』も、トムの人生にサマーという女の子がいた500日の時間がランダムに並べられている。
 『いつも2人で』は時間をランダムに並べることによって、主人公の2人の絆が弱まってだんだんと輝きが褪せていくというクリシェを避し、長い付き合いの中には最悪の瞬間もあれば、素晴らしい時間もあるのだということを示していた。
 『(500)日のサマー』では主人公が明日の約束などしない女の子に恋をして、運命を待って時間を過ごすでのではなく、その瞬間を生きることを学ぶ。ただ、サマーはその瞬間のみを信じる強い女の子であるのと同時に、(トムと出会った時点では)「明日の約束など信じられない」傷ついた女の子でもある訳で、それがあのビタースウィートなツイストにつながっていくのだが。
 ズーイー・デシャネルのブルーの瞳を意識したファッションと映像が印象的な「目合わせ」映画だった。ブルーのリボン、ブルーのカチューシャ、ブルーの蝶々のアクセサリー、ブルーのワンピース、サマーが住む部屋のオリエンタルな壁紙。ズーイー・デシャネルが今はなき『domino』で公開した自宅がやはり目合わせでブルーを基調にしたインテリアだったことを思い起こさせる。トムがサマーと結ばれた朝、恋と性愛の歓びで噴水が上がるのは(『クルーレス』と同じく)『恋の手ほどき』の引用で、その後のミュージカル・シーンではダンサーたちがブルーの服を着ていて、『南部の唄』あるいは『メリー・ポピンズ』よろしく現れるアニメの鳥もブルー。
 スミスをはじめとした音楽リファランスは既に本国で多くのブロガーが挙げているので、意外と挙げる人が少ない文学の方のリファランスをいくつか。 トムとサマーが共通して好きなものに挙がっているのは「(ルネ・)マルグリット、(エドワード・)ホッパー、バナナフィッシュ」。「バナナフィッシュにうってつけの日」はもちろんサリンジャーの
『ナイン・ストーリーズ』の一編。(ズーイー・デシャネルの名前がサリンジャーの『フラニーとゾーイ』から来ていることは有名だが)劇中のサッカーが得意でおませなトムの妹のキャラクターは、明らかに『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンの妹フィービーの引用である。
 重要な瞬間にサマーが読んでいるのは
『ドリアン・グレイの肖像』。これはもちろん、サマーがスミスとベル&セバスチャンのファンだから。オスカー・ワイルドはモリッシー最愛の作家であり、スミスの歌詞に多く引用されている。ベルセバには『ドリアン・グレイ』的な歌詞の「Slow Grafitti」がある。またサマーは永遠の愛を信じるトムをからかって「若きウェルテル」と呼ぶ。叶わぬ恋に絶望して主人公が自殺するゲーテの『若きウェルテルの悩み』は、現在英米では「エモの原典」という位置づけで若者たちに読まれている。ロック/文学のつながり、または現在の文化系シーンで何がニュー・クラシックとされているかを如実に物語る、さりげないけれど重要なシーン。
 そして会社の同僚の結婚式へと向かう道中でトムが読んでいて、後にサマーにプレゼントするのが哲学者にして小説家のアラン・ド・ボトンの
『The Architecture of Happiness』



 すごい! 私はちょうどこの本、読みたいと思っていたところだった。チェックしてAmazonのカートに入れておいていたので、表紙を見てすぐに分かった。(映画を見た後に速攻で買いました)ちなみにこの表紙は昨年出たVintage版のもの。だから本当は、06-07の出来事を描いた『サマー』の時期には発売されていないもののはずなのだが…。
 ところでアラン・ド・ボトンの出世作
『恋愛をめぐる24の省察』って『(500)日のサマー』的じゃない?
 そしてサマーの紹介シーン(自転車に乗る少女という「映画の恋人」! 実にトリュフォー的)が好きな人には、是非ともダン・ローズの『Anthropology:101 True Love Stories』を読んで欲しい。以前にも紹介したけれど、これまた『(500)日のサマー』的な一冊。



2009年10月22日木曜日

営業報告

 もろもろ遅れてすみません。
 Garden Of Allahの出演キャンセルを私の方で告知できなかったことをお詫びします。
「本の雑誌」「FRaU」(素晴らしく使えるお料理号)で私が取り上げた本は以下の通り。
ロイド・ジョーンズ
『ミスター・ピップ』
エミーリ・ロサーレス
『まぼろしの王都』
ナリ・ポドリスキィ
『猫の町』
ユーリ・ツェー
『シルフ警視と宇宙の謎』
『プロコフィエフ短編集』
鳥居みゆき
『夜にはずっと深い夜を』

 鳥居みゆき本はフォアレディースのファンにお勧めしたい。版型も一緒だし。

 ブックジャパンでは
『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』レビューを書いています。『淑やかな悪夢』と共に乙女の本棚にあるべきアンソロジーだと思う。
 「文藝」で都甲幸治さんが『イー・イー・イー』の書評を書いて下さいました。「すごく倫理的な小説」。なるほどそういう読み方もあるのか。
 そうそう、以前紹介した『ジュリー&ジュリア』は早川書房の新レーベル、イソラ文庫で十一月六日に翻訳が出るそうです。とても楽しみ。
 他にもお知らせがあったような気がするけれど、それは思い出した時にでも。

2009年10月7日水曜日

カーメルとダフィ

 そういえばロビン・ミラー関連でよくDJしたなあと80年代フェイクジャズ関連を思い出してみたら……ハッ! ダフィってカーメルそっくり。
 しかもPVまで!




タオ・リンの音楽プロジェクト



 タオ・リンが「Hipster Runoff」の人と組んだ音楽プロジェクト"Jesus Christ." (the indie band)を発動。

 今秋EP発売の「Is This Really What You Want?」の試聴はこちらからどうぞ。

 M83やThe Teenagersなんかを引き合いに出されて誉められていますが、「でもこいつらのことだからこの曲調も悪意に違いない」とみんな勘ぐっている模様。

2009年10月6日火曜日

ヴァンパイア・ウィークエンドの新曲



 来年一月、ニュー・アルバム『CONTRA』を出すヴァンパイア・ウィークエンドが緊急来日。イエー。
 アルバムからの先行カットとなる新曲「Horchata」が現在、オフィシャルでフリー・ダウンロード出来るようになっています。
 カリビアンなのに軽くメランコリックなディッセンバー・ソング。「前のシングル曲よりもキャッチーさに欠ける」「特に新展開は見られないので、ファンには嬉しく、ヘイターには更に嫌う種になる曲」等々言われていますが、私は(もちろん)大好きです。
 タイトルのオルチャータとは、スペイン産のお米のジュース。飲んでみたい。オルチャータを十二月に飲みながら、失われたものに思いをはせるという、ライムありきのシュールな、でも不思議にせつない歌詞もいかにもヴァンパイア・ウィークエンド。コンサバな美人がラルフローレン(ラコステじゃない!)のポロシャツの衿を立てているニュー・アルバムのジャケットも、いかにもヴァンパイア・ウィークエンド。


2009年10月5日月曜日

久しぶりにDJをします


TWEE GRRRL CLUBのSUMILE嬢にお呼ばれして久しぶりにDJをします

場所は代々木八幡のカフェNEW PORT

五年ぶりかそこら…

でも「ディスク・セレクター」ってフライヤーにも書いてあるから、大丈夫自分(言い聞かせる)。

ライブに展示と盛りだくさんな内容。

皆さん是非ともいらして下さい。


***Garden Of Allah***


Date : October 18th 16:00 Start

Place : New Port

Charge : 1500 yen ( with 1 drink)


Live : She Talks Silence (www.myspace.com/shetalkssilence)

Mark Sorvari (www.myspace.com/marksorvari)

Disc Selector : Noboru Yamana

Madoka Yamasaki(romanticaugogo.blogspot.com)

sumire (www.violet-claire.com)

STS

Exhibition : Asami Hattori / Ayumi Kawai

Boutique : Violet & Claire

2009年10月3日土曜日

初のブログ映画『ジュリー&ジュリア』



 『ジュリー&ジュリア』は大変に楽しみにしていた一本。
 この原作がノラ・エフロンで映画化されると聞いた時はパーフェクトだと思ったし、事実、期待以上の出来映えだった。
 04年(映画ではアフター9/11を強調するために02年になっていた)、冴えないOL生活をしていたジュリー・パウエルは自分のとある挑戦をブログで公開することに決める。
 ジュリア・チャイルドの料理本
『Mastering The art of French Cooking』に載っている五百以上のレシピを全部作って、その過程をあますことなく伝えるのだ。しかも期限は一年間、三百六十五日。
 でもジュリア・チャイルドってだあれ? 
 日本ではよほどの料理通しか知らないが、アメリカでは非常に有名な料理研究家である。63年から放映された「フレンチ・シェフ」は料理番組の草分けであり、番組放映内に手早く料理の完成までを見せる今の料理番組の手法は全部このプログラムで生み出されたといっても過言ではない。
 しかし、実際にジュリア・チャイルドが爆発的に人気があったのは70年代までの話。浦辺粂子を片岡鶴太郎の物真似でしか知らない世代がいるように、ある時代以降の人々にとってジュリア・チャイルドは「SNLでダン・エイクロイドがする物真似」でしか知らない人物である。
(彼女がどんな生まれで、どのようにして料理家となったかは映画本編でもくわしく語られていないので、興味のある方は「アスペクト」のバックナンバーを手に入れて、私の「彼女のリトル・キングダム」のジュリア・チャイルドの回を読んで下さいね!)
 映画では00年代のジュリー・パウエルの奮闘と、フランスで料理に目覚めて本を出すまでの50年代のジュリア・チャイルドの道のりが交互に展開されている。
 本国で評判が良かったのはメリル・ストリープがジュリア・チャイルドを演じるパートだが、私はむしろエイミー・アダムスがジュリー・パウエルを演じる場面の方を評価したい。何故なら、これは料理についての映画というよりも、映画史上初めての「ブログをやること」のインパクトを描いた作品なのだから。 
 事実、これは「ブログが原作の映画」の第一作でもある。
 ジュリー・パウエルは
「ジュリー/ジュリア・プロジェクト」で有名になり、ブログは書籍『Julie and Julia:My Year ofCooking Dangerously』となって大ヒットした。ブログ本の先駆けである。
 ジュリーは最初、誰も自分のブログを読んでくれないのではないかと不安になる。それからコメントがつくようになって有頂天になり、読者の反応に一喜一憂する。読者の期待を裏切ることになるのではないかと、プレッシャーに押しつぶされそうになる。たかがブログなのに! そのことで素敵な夫との仲さえ気まずくなり、ギスギスする。ちょっとした、というか、かなり深刻なネット中毒だ。
 しかし、よくいるネット中毒者のように、ジュリー・パウエルはウェブの有名人になりたかった訳でも、ネット上で馴れ合う友だちが欲しかった訳でもない。何かをやり通すということを自分に課して、それを公開することによって自分を追い込み、見事にやってのけたのである。そのことは彼女に扉を開いた。
 自分の小さなキッチンが、大きな世界へと繋がっている。しかも、とても親密な形で。そんな風に、ネット上で文章を書くことの喜びを伝える映画なんて、今まではなかった。
 自分がテキストサイトをやり始めた時のことを思い出して、ちょっと涙が出そうになった。
 ただ、これはあくまで00年代前半だからこそ起こりうる「ネットの奇跡」だった。
 今ではあまりにノイズが多すぎて、ブログをこんな風にポジティブな形で描くことは不可能になっているような気がする。
 事実、ジュリー・パウエルに作家の道を開いたインターネットでの成功は、彼女を手ひどく傷つけることにもなってしまったのだ。
 それは今回の映画『ジュリー&ジュリア』のプロモーションに、ジュリー・パウエル本人がまるっきり関わっていないことからも明らかだ。彼女は一切のインタビューを拒否しているという。
 ブログが有名になり、更にベストセラー本になって、ジュリー・パウエルその成功をやっかむ人々からひどく叩かれた。いわく「他人のふんどしで相撲を取った」「料理に関してアマチュアでプロではない」「ジュリア・チャイルドの名誉を汚した」
 ジュリー・パウエルは成功したのは企画の力だけでない。何よりも彼女自身に文才があったからだ。とても個人的な挑戦をウィットが効いた文章で、「何かを成し遂げようとしてあがいている三十前後の女性」の普遍性へと高めることが出来るだけの才能があったからこそ、彼女のブログは注目され、書籍になった。
 しかし出発点がプロとアマチュアの境界線が曖昧なブログだということで、彼女の成功を許せない人々がいるのだ。一部のマスコミだけでなく、そういう人々がネット上で彼女を叩いた。そしてインターネットでは、ジュリー・パウエルの文章も、彼女に対するあてこすりやイヤミ、露骨な悪口も同等なのだ。
 もしかしたら、ジュリー・パウエルを一番傷つけたのはそのことだったのかもしれない。
 私は二年前に『『Julie and Julia:My Year ofCooking Dangerously』を買って、途中までは読んでいる。冒頭はとても切実で、悲しくて、だけど笑えるほど面白かった。
 映画とはちょっと違い、ジュリー・パウエルがジュリア・チャイルドのレシピを試そうと思いついたのは、婦人科で問題が見つかった帰り道のことだった。彼女は「シンプル」と書かれていたリーキとポテトのスープを作ろうとするが、「シンプル」というのは「イージー」という意味ではないのだということを知る。
 ブログを始める、そこで文章を書くことは「イージー」だ。でも、確かな文章を書いてそれを読者に届けるという行為は「シンプル」であっても「イージー」ではない。ジュリー・パウエルの本が翻訳されればいいと思う。そうすれば彼女が「ラッキー・ガール」ではなく実力派だということが分かるから。
 映画の方も「ラッキー・ガール」としてジュリー・パウエルを描いていない。ちょっとビターな結末によって、ジュリーの物語に挟み込まれていたジュリアの物語が、実はただの伝記ドラマではなく、「ジュリー・パウエルが心に描くジュリア・チャイルドの姿」であったことが明らかになる。
 これは『ボギー!俺も男だ』やジェームス・スチュワート主演『ハーヴェイ』と同じく、架空の友だちに励まされて生きる人の物語なのである。映画の中のポジティブなジュリアは、ジュリーの中にある「良き自分」、アルター・エゴなのだ。
 ハリウッドの黄金期を支えた脚本家コンビである両親を持つ、ノラ・エフロンらしい正当派の映画だ。同時に、今までマンハッタンのどちらかというと裕福で九十年代的な三十代を主人公にした映画を撮っていたエフロンが、クィーンズで貧乏(でも同時にとても豊かな)暮らしを営む今時の文化系カップルを描くことによって、そしてインターネットの力を彼女らしく見せることによって、アップデイトを果たした作品でもある。
 前に
ここでも紹介した『アマンダの恋のお料理ノート』の著者、アマンダ・ヘッサーも映画に登場する。アマンダはジュリー・パウエルのブログに早くから注目して、ニューヨーク・タイムズで大々的に取り上げたのだ。アマンダ・ヘッサー役の女優、やたらと美形だなと思っていたら、何とアマンダ・ヘッサーその人だったのでびっくりした。ちなみに『アマンダの恋のお料理ノート』にもジュリア・チャイルドのエピソードがある。
 ジュリーとジュリア、それぞれの夫役がまたいいとか、もちろん料理がおいしそうとか、まだまだ誉め足らないところはあるが、とにかく、私にとっての『ジュリー&ジュリア』はブログについて描いた最良の作品なのだ。

『ジュリー&ジュリア』予告編





本物のジュリア・チャイルド