2009年8月30日日曜日

ペンギン・クラシック第二弾

 美しいクロス装丁で乙女たちをキュンキュンさせたペンギン・クラシックのシリーズ。第二弾が出るそうです。



 うおおお、『エマ』『若草物語』(ハサミ!)『不思議の国のアリス』『白衣の女』…欲しい。正直全部欲しい。オースティンは全巻出す気なのだろうか。そして、このシリーズはいつタワー・ブックスに入るのだろうか。前は六冊大人買いをした。お財布が痛かった。

嬉しい復刻



 待てば海路の日和あり。
 詩人アラステア・リードと画家ベン・シャーンのコラボレーション、素晴らしい絵本の
『OUNCE DICE TRICE』が復刻されました。
 ベン・シャーンのドローイング目当てだったのですが、言葉の「響き」が「意味」を持ってくる内容も素晴らしく、「詠む」絵本としても楽しい! 早い内に予約したせいか、先週手元に届きました。
 古本は高価で手を出せなかったので、これはとても嬉しい復刻だった。

2009年8月26日水曜日

迷探偵ジェイソン・シュワルツマン


 この間、「探偵アーロン・マッケルウェイは、ウェス・アンダーソンが映画化するならばジェイソン・シュワルツマン」と書きましたが、9月20日からHBOでジェイソン・シュワルツマンが探偵を演じるテレビ・シリーズ、『Bored to Death』が放映スタートするではありませんか。

Bored to Death


 といってもきちんとした免許を持った探偵ではなく、ジェイソンが演じる主人公の本業は売れない作家。アル中でスランプ気味、彼女にもふられてどん底なところを、ひょんなことから探偵業に手を染めることになって、推理小説を手本に見よう見まねで探偵をやっていくというコメディのよう。「思ったよりも若いのね」って、マッケルウェイが言われているのと同じ事を言われている。お腹の中がざわざわするほど面白そう!  パーカー・ポージーをはじめ、ゲスト陣も豪華。プロデュースと脚本は作家のジョナサン・エイムスで、主人公の名前もジョナサン・エイムス…ということは、作家のアルター・エゴ。
 P.G.ウッドハウスのパロディ
『Wake Up,Sir!』とか、エイムスの作品は面白そうなのに日本では翻訳されていないんですね。グラフィック・ノヴェル『Alcoholic SC』は気になる。

ステッチ・バイ・ステッチ

 先週行った、庭園美術館の「ステッチ・バイ・ステッチ」展は本当に良かった!

今のところ、今年のベスト展覧会。

 少女の心や皮膚に巣くうグロテスクで美しい奇病のような村山留里子の作品もよかったし、手塚愛子、吉本篤史の作品が本当に素晴らしかった。

 展示されている作品を見て思い出したのが、数年前にクィーンズのP.S.1で見たジェシカ・ランキンの作品。彼女はオーガンジーの布地に天気図のような、星座表のような、植物図鑑のような“思考地図”を刺繍で縫い込むアーティスト。


Hour to Hour(from The Saatchi Gallery)


 布や紙にプリントした地図に自分が歩いた跡を縫い込んでいく秋山さやかの作品との同時代性を感じる。

 ジェシカ・ランキンは今年も展覧会をやった模様。また実物が見たいなあ。

2009年8月22日土曜日

自分だけの部屋


ヴァネッサ・ベルが装丁を手がけた、ヴァージニア・ウルフの
『自分だけの部屋』のオリジナル版表紙。

2009年8月21日金曜日

ミランダ・ジュライ in ベネチア・ヴィエンナーレ

 

『MAD MEN』(風俗やファッションを見ているだけでメロメロにあるドラマ)に主演のジャヌアリー・ジョーンズが表紙の『Interview』は買いかなあ。ベネチア・ヴィエンナーレに出品した作品について、ミランダ・ジュライがインタビューを受けているから。


Interview Magazine via It's Nice That)


 横浜トリエンナーレの「廊下」も素晴らしかったけれど、これまたやられた感じ。

 野外にある彫像、顔ハメ看板、かぶり物などを来場者が使い、それを写真に撮って完成するアート。

 二人の人間がそこに立ってハグするようになっている台のメッセージを読んで、ちょっと涙ぐんだ。

「私たちは他人同士です。ただ、この写真のために抱擁しているに過ぎません。撮影が終わったらさっさと立ち去るつもりです。もうすぐ終わるところなんですよ」

 人との一瞬の邂逅が持つ輝き、せつなさ、皮肉といった要素をこうもチャーミングに表現されては本当にお手上げです。


 インタビューでミランダ・ジュライに質問しているのは、シンディ・シャーマン、スパイク・ジョーンズ、デイヴ・エガース、ミシェル・ゴンドリー、ジョージ・サウンダーズ、ジャーヴィス・コッカー、キャット・パワー、ジョアンナ・ニューサム、ジョナサン・レサム…。音楽、映画、アート、文学、ミランダったら全方位アイドル!

2009年8月18日火曜日

ジャケの元ネタ



The Outsider/Colin Wilson(1963)
(from BookWorkship)


これってコンテンポラリー仕事だっけ?

2009年8月15日土曜日

君はフェリスじゃないよ


 ニューヨーク・タイムズにモリー・リングウォルドが寄せたあまりに感動的なジョン・ヒューズの追悼文に続いて、ワシントン・ポストがヒューズ縁の人物の追悼文を載せた。

 ジョン・ヒューズの高校時代の友だちであり、フェリス・ビューラーのモデルといわれているエドワード・マクナリーの文章である。

 なるほど、(彼の言っていることが本当ならば)、高校時代に彼とヒューズの間に起こった出来事のいくつかは『フェリスはある朝突然に』のプロットのヒントになったようだ。

 で、リアル・フェリスであるところのエドワード・マクナリーは高校後、どんな人生を歩んだのか。彼は若くして父ブッシュのスピーチ・ライターとなり、後にイェール大学時代にスカル&ボーンズの絆で結ばれた親友である息子ブッシュ政権下で国土安全保障省の法律顧問を務めたのである。

 さすが世渡り上手のフェリス……しかし今は汚職で逮捕された元イリノイ州知事ジョージ・ライアンとの癒着等で調査を受けている「疑惑の人」である。なに、その『はいすくーる白書』も真っ青な後日談は。

 追悼文も、ヒューズとの個人的な思い出話というよりは、バーバラ・ブッシュのスピーチを作成するときに『フェリス』のセリフを引用したとか、自分に疑惑の目を向けられた時にフェリスのレッスンを思い出したとかそんな話ばかりで、後半は通り一編な感じでヒューズを讃えているだけ。何の心もこもっていない。

 この人は自分のキャリアのことだけが大事で、かつての友の偉大さにちっともピンときていないのだ。

 「今となってはルーニー校長が気の毒だ」「お前なんかフェリスじゃない」といった感想がネットにおどるのも無理はないよ。

2009年8月14日金曜日

タオ・リンと日本文学

 「イー・イー・イー」が日本発売されたことを受けて、タオ・リンが自分のブログに「僕が読んだ全日本文学レビュー」を寄せています。
ラインナップは以下の通り。

安部公房『砂の女』
安部公房『箱男』
安部公房『第四間氷期』
安部公房『カンガルー・ノート』
村上春樹『ノルウェイの森』
村上春樹『羊をめぐる冒険』
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』
村上春樹『象の消滅』
村上春樹『国境の南、太陽の西』
村上春樹『スプートニクの恋人』
村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』
村上春樹『ねじまき鳥のクロニクル』
太宰治『人間失格』
太宰治『斜陽』
芥川龍之介『羅生門 その他』
高橋源一郎『さよなら、ギャングたち』
福岡正信『自然農法 わら一本の革命』
金原ひとみ『蛇にピアス』

 唐突に福岡正信が入っているのは、多分彼がベジタリアンだから。村上春樹が多いのは好きなのもあるけれど、それだけ翻訳が進んでいてポピュラーだからなんでしょうねー。『羊』は、「内容思い出せないけれど、動物のところパクッたかも」っておい。金原ひとみと(翻訳が出ていないから読んでいない)綿矢りさは、同い年ということもあって相当気になる様子。そして『人間失格』の語り部を「エモ」と呼んでいる。

ジョン・ヒューズに16本のキャンドルを



(From Movie line)


 ジョン・ヒューズが倒れ、救急車を待っていた場所は60ウェスト55ストリート。救急車が着いた時は既に意識不明だった。今、そこには16本のキャンドルが灯されている

2009年8月12日水曜日

営業報告




 久しぶりにBookJapanに書評を書きました。
 特集でやったフィッツジェラルドを除くと、ここでは初めての洋書以外のレビューです。
 片岡義男コレクションについて
 連動して、片岡義男の小特集も組まれています。
 ヘタすると、片岡義男はいま、私が一番好きな日本の作家かもしれない。
 アーバンでデオドラントで小賢しいのが片岡義男だと思っているひとは本当に、
『花模様が怖い』の「狙撃者がいる」を読んで欲しい。
 片岡義男が真に小説家としてのスタイルを確立したのは、人気のピークを過ぎた90年代からではないだろうか。
 90年代から現在にいたるまでの片岡小説の登場人物についての「ロボットのように喋る、血の通っていないキャラクター」という批判もちらほら聞くが、間違えている。あれは片岡義男の小説世界での絶対的な言語なのだ。まったく違う世界へと誘う呪文のようなもの。あれがないと片岡義男を読んでいる気がしない。 そういう意味では、北方次郎セレクションの
『さしむかいラブソング』に収録されているものはやや時代を感じさせて、古い気がする。やたらと女子が殴られるのも趣味に合わないし。でも、表題作は例えば佐々木希が主演だったら(あの完璧な可愛らしさを支える禍々しさに)ぴったりという感じがするし、「箱根ターンパイクおいてけぼり」のオチの鮮やかさには唸る。そしてこの巻のキラーな一編は何といっても、ストリッパーに一目惚れして彼女を捜し求める男の話である「ひと目だけでも」。ストリッパーの身体描写がものすごい。骨格、ライン、バランスをひとつひとつ分析していくその文章に執念は感じても、肉欲的なものはまったく感じない。


 そして『ミス・リグビーの幸福』。人から聞いたところによると、ジョセフ・ゴードン・レヴィットは『セント・アンナの奇跡』でまさしくアーロン・マッケルウェイ的な役を演じているというではありませんか! あの役がどうアーロン・マッケルロイなのかは、「天然アンチミステリ」であるところの「ビングのいないクリスマス」を読んで確認して下さい。真相を知ることのない探偵役。
 そして私が考えるロドリコ・ガルシア版アーロン・マッケルウェイ映画では、マッケルウェイはジョセフ・ゴードン・レヴィットですが、もちろんウェス・アンダーソン版も考えていて、その場合のアーロン・マッケルウェイはジェイソン・シュワルツマンです。「マッケルロイ、すべての件を電話で解決」な巻の「いつか聴いた歌」はアンダーソン版でお楽しみ下さい。切り返しの嵐。共演はグイネス・パルトロワとアンジェリカ・ヒューストン。
 それと『ミス・リグビーの幸福』、解説代わりに収録されている都築道夫×片岡義男対談が半端なく面白い! 最初は片岡義男の実像に迫ろうとしていた都築がだんだん片岡義男に乗せられて文房具の話をし始め、最後には片岡義男の小説の登場人物の語り口調になってしまうというすごいとしかいいようのない展開です。
 片岡義男の短篇をさらうことは、フィッツジェラルドの短篇をさらうことに似ている。膨大な数なんで急ぎませんが、いつか私が考える片岡義男短篇のベスト・オブ・ベストを編むことが夢です。今年読んだ中では、男が車の中でこれから書こうとする小説のプロットをずっと喋って、女が「それはいい小説になりそうね」って答えて終わってしまう「アロハシャツは嘆いた」(
『頬よせてホノルル』収録)もすごかった。従来の小説文法から(期せずして・天然に)遠く離れた片岡義男の異様さはもっともっと評価されるべき。

2009年8月11日火曜日

営業報告

 本日発売のFRaU、第一特集は「読書の時間をもう少し」。
 色々とやっております。
 まずは本屋さんのレポート。

6月30日に取材でお邪魔したときの日月堂

 期せずして、選んだ書店は全部(ニューヨークのも含めて)インディ書店でした。
タワーブックなんか、あの広さ、あの規模で配本が一切ないっていうんで驚いた。しかもあの素晴らしい文芸ペーパーバックの棚はある女性が一人でやっているというのだ! 神だ…。だからあそこの洋雑誌は安いし、GRANTAとかMcSweeney'sとかOpen CityとかPublic SpaceとかZoetropeとか、他の洋雑誌売り場ではお目にかかれない文芸誌がそろっているのだなあ。Zoetropeは毎号売り切れちゃうんだって。頼もしい。あそこは本当に私の命綱なんで、これからも大事にしていきたい。
 恋愛小説についての鼎談は、穂村弘さんと光浦靖子さんと。『たんぽぽ娘』は、穂村さんがお持ちじゃないというので山崎の私物をお貸ししました。いつ出るのだろう、奇想コレクションの「たんぽぽ娘」。でも、タイミング良く他に穂村さんが推していた
『不思議のひと触れ』が文庫化していますよ。
 海外小説、及び洋書については岸本佐知子さんと対談させてもらいました。三時間ぐらい喋っていて、テープ起こしの分量は六万字くらいあったのを、ぐっと凝縮しております。後半は、昨年の「ユリイカ」で私がした岸本さんのインタビューを楽しんでくれた人には、続編的に読めるような内容になっているのでは。二人が共に推したJoe MenoとDeb Olin Unferthについてはもう少し、このブログで補足しておきたいと思っています。
 読書会のレポートも、池袋コミュニティカレッジに通っていた面々が可愛らしく写っていて嬉しかった! 有志で続けている読書会は場所選びからとてもチャーミングで、楽しそうだなあ、オイ。『ジェイン・オースティンの読書会』に挟まれた付箋のラブリーさにも注目を。
 青山・渋谷ブックマップにもちょこっと協力しています。このことに関しては、今月25日のFrancfranc Schoolでも触れる予定です。227ページにくわしい告知が出ています。
 しかし、今号のFRaUは漫画特集も読み応えがあるし、デザインがめちゃめちゃ可愛くていいね! ただ本の表紙並べた芸のないページが続くそこらの特集とは違うよ!って感じ。イラストでしおりが描き込まれていたりして、凝っていて、でもうるさくなくて、軽やかで、素敵なの。
 FRaUの読書日記と「本の雑誌」の新刊レビューで取り上げた本は以下の通り。

スティーブ・トルツ
『ぼくを創るすべての要素のほんの一部』
カズオ・イシグロ
『夜想曲』
『いずれは死ぬ身』
エイミー・ブルーム
『リリアン』
ロベルト・ボラーニョ
『通話』
加藤耕一
『「幽霊屋敷」の文化史』
小沼丹
『村のエトランジェ』

『村のエトランジェ』は今年の復刻大賞! 皆さん、是非とも夏休みが終わる前に読んでおいて下さい。

2009年8月9日日曜日

D.I.Y.な表紙集

それぞれ内容も気になるの。


パンク関係のzineからの引用が豊富らしい。zineといえば


こちらが11月発売。これはマストでしょう。



以前、Muxtapeと連動していたサイトの方を取り上げたこちらも10月に書籍化。元カレ・元カノからもらったミックステープの内容をさらす本。ノートに描いたカセットが良い。

2009年8月8日土曜日

don't you forget about himⅡ



(form New york times)


 友人が、ジョン・ヒューズについての素晴らしいエントリを教えてくれた。

 85年から87年まで、ジョン・ヒューズと文通していた女子の話である。


http://wellknowwhenwegetthere.blogspot.com/2009/08/sincerely-john-hughes.html



 ジョン・ヒューズが当時高校生であった彼女に丁寧に接してくれたこと、そして97年、職場にかかってきた最初で最後の電話…。

 自分がハリウッドにいたら、一体人生において何が重要で、何が幸せなのかということの意味を息子たちが取り違えてしまう。そして大事な友だちであるジョン・キャンディをハリウッドは殺してしまった。

 そう言って、彼は映画界から退いていった。

 この誠実さは痛ましく、悲しい。

 彼女の手紙を大事にして、「僕はアリソンのためにこの仕事をするんだ」と何かにつけて彼女を想いだしたこと…。

 ジョン・ヒューズは彼女を代表とするティーンの観客、ただ彼らの思いだけをモチベーションにして映画を作っていたのだ。

don't you forget about him



 ジョン・ヒューズに会って話すのが夢だった。
 でも、私と同じ事を考えていたジャーナリスト、映画ライター、映画作家たちは大勢いる。

 ジョン・ヒューズを探すドキュメンタリー、『don't you forget about me』




 オフィシャル・サイト
 
ブログ

 ジョン・ヒューズは五十代で事実上引退している。
 彼の評価が高まっているのを知らなかったわけではないと思うけれど、八十年代の彼の作品についてくわしいインタビューに応じることはなかった。
 ただ作品に語らせ、ティーンエイジャーが消費していくに任せた。
 その謙虚さは一種の美徳だったと思う。

2009年8月7日金曜日

さよならジョン・ヒューズ

本当に涙が止まりません。
誰かが亡くなるとみんなネット上で、その人ために天国の門を開くのは自分であるかのように、大急ぎで誉め出す。
気の利いたことを言って悦にはいる。
そんなのはみんなくそくらえだし、読みたくもない。
私は本当に彼の映画が好きだったし、心から尊敬していた。
いつか会って、インタビューするのが夢だった。
アメリカの青春が死んだんだ。
今日は心に半旗をあげて、あとはもうただ黙っていたい。

2009年8月6日木曜日

夏のアニメ

『サマー・ウォーズ』もいいけれど。
Jeff Scherによる夏のイメージ。素晴らしい




彼のブログ
ニューヨーク・タイムズのAnimated Lifeでも彼の作品が見られる。

本日発売

 「イー・イー・イー」は本日発売です。Amazonのページでも、PVが見られるようになりました。
 海外アマゾンでは割とこれは当たり前のこと。
 たとえばミランダ・ジュライは、ペーパーバック版が出る時に「本にインタビュー」ビデオをAmazonのページに上げたりしています。
 本屋さんにはもう並んでいるかな。

2009年8月4日火曜日

イー・イー・イーのPV

 「イー・イー・イー」の予告編PVが出来ました!
 常々、日本でも「本の予告編ビデオ」をネットに上げるべきだと思っていたので、提案が 通って嬉しい。少なくとも、翻訳文学では初の試みでは。
 出来上がりもローファイでチャーミング! 本の内容を反映していると思います。アニメ・著者からのメッセージ・翻訳者のつぶやきの三本立てです。 Mi-Te-Ne!


イー・イー・イー


 タオ・リンの『イー・イー・イー』
 昨日、見本が届きました。
 写真で撮るとどうして熊がピカピカ光って実物の感じが出ないのですが、
 ライム・グリーンにグレープフルーツ・ピンクのめちゃめちゃ綺麗な表紙です。
 これに帯がついてきます。
 帯の裏にはレベッカ・ブラウンの書き下ろしの推薦文が。

欲しい




 蝶々のネックレス。残酷な愛らしさ。でも売り切れだって!




 古い本を模したアルファベット棚。うっとり。

2009年8月3日月曜日

マンブルコア、口ごもる新世代インディ映画作家たち



 リンクレーターからダブル・アンダーソンまで。才能ある新人作家に恵まれた90年代と違って、ゼロ年代のアメリカにはインディ映画のムーヴメントはなかった……と思っている日本人は多い。
 実はゼロ年代を代表するひとつの流れが、あるにはあったのである。
 インディ映画の新しい潮流、あるいはその運動を表す言葉はマンブルコア(Mumblecore)。
 登場人物たちが何を喋っているか分からないため、音声係りが(恐らくキレ気味で)名づけたこの名称は、07年にIFCが「The New Talkies: Generation D.I.Y.」というタイルでマンブルコア映画を特集して以降、定着した。
 マンブルコア映画の特色とは何だろうか?
 まずは超低予算であることだ。
 インディ映画が低予算なのは当たり前だが、マンブルコア世代のお金のなさは尋常ではない。その多くはデジタル・ヴィデオ・カメラで撮られ、プロの俳優を雇う予算がないためキャストは監督本人とスタッフ、その友人がノー・ギャラで務めている。
 インディ映画作家の出発点としてここまではフツーのことだ。しかし、90年代のインディ作家が二作目、三作目でプロダクションと手を組んで、それなりの予算でステップアップしていったのに対し、マンブルコアの監督たちは超貧乏なまま、何作も仲間内で映画を撮り続けている。
 マンブルコアの監督たちは映画祭巡りで知り合い、それぞれの映画にキャスト/スタッフとして参加し合って人脈を横に広げていってはいるのだが、横に広がる一方で、大手の映画会社や小回りの利くプロデューサーたちと縦の関係を結ぼうとはしない。だから作品は評価されながらも超小規模公開で終わり、アメリカの大都市以外では知られず、また国外に出ることも稀である。外国映画そのものに興味を失っている日本では一本も公開されないどころか、DVDスルーの候補にすらならず、まったく話題にもなっていない。
 しかし逆にこの「閉じた感じ」こそが日本の同世代の雰囲気とすごく共鳴しているのだ。
 マンブルコアの映画の題材は、非常に閉ざされたサークル内での人間関係である。二十代半ばの男女が、特に仕事をする訳でもなく、何かに情熱を燃やすこともなく、何となく仲間と会ってだべり、半径1キロ当たりをうろついて、すれ違い、「そこんところは何となく分かるだろ」的なことを言い合い、別れる。それがマンブルコア映画の全てである。映画に出てくる人々は基本的に素人なので、美男美女ではなく、フツーの人のフツーの会話なので、(多くの人がエッジの効いたインディ映画に期待するような)洒落たセリフなどひとつもない、どころか、何やら口の中でぶつぶつと呟くばかりで、本当に何を言っているのかサッパリ分からない。「You Know,I mean…○×△□」マンブルコア映画を字幕なしで見るのは修行だ……ネイティブでも聞き取るのはラクじゃないだろう。
 ドラマもない。起伏もない。でも、そんなどうしようもない日常が映画になりうることをマンブルコアの作家たちは証明した。
 マンブルコア映画の第一号、90年代における『Slackers』的な作品といえば、アンドリュー・ブジャルスキ監督が16ミリのフィルムで撮った『Funny Ha Ha』である。大学を卒業して、とりあえずの職に就こうとする女子が、彼女持ちの男子と恋とも浮気ともいえない微妙な関係に陥るのだが……という話である。タイトルを訳するならば、『それ受ける、ハハ』。もちろん、そのセリフを言っている登場人物たちの目は笑っていない。言われたことを適当に受け流す時の文句だ。

Funny Ha Ha



 この作品でインディペンデント・スピリット・アワードで賞を取ったブジャルスキは、再び16ミリで、今度はモノクロで大学時代の友人、ビショップ・アレンのボーカルであるジャスティン・ライスを主演に迎えて『Mutual Appreciation』を撮る。これがマンブルコア・クラシック、90年代における『バッド・チューニング』と同じ地位にある作品だ。

Mutual Appreciation


 バンドを解散したばかりの主人公が、友人カップルの部屋に泊まりながらニューヨークで新しいドラマーとミュージシャンとしてのキャリアを見つけようとする、が、上手くいかず、ラジオのDJの女子と中途半端な関係を結び、元カノに電話をしてうざがられ、友人が行くからと言われて誘われたパーティに友人は来ておらず、そこにいたフェミニスト・アートをやっている女子たちに女装させられ、それから友人の恋人と(また)恋とも浮気ともいえない微妙な関係に陥るのだが……という筋である。ビショップ・アレンの曲が上手く使われていて、一種の音楽映画にもなっている。客がまばらなライブハウスのシーンとか、身につまされるものがある。『相互理解』というタイトルは、主人公と友人の恋人の「私たちは惹かれあっているけれど、そういうのはなかったことにしましょ」という曖昧な関係を示してもいるし、「こういう感じって分かるだろ」と、映画全体の雰囲気を説明した言葉でもある。つまりこれは、「You Know,I mean」な映画なのであり、口ごもったようにぶつぶつと、小さな声でしか言えないようなことを形にしたのがマンブルコアなのである。

 ブジャルスキ以外の主なマンブルコア作家たち。

 マンブルコア唯一の映像派、ひと呼んで「デジタル・カメラのテレンス・マリック」ことアーロン・カッツ。

Quiet City



 ジョー・スワンバーグ。ややセックスにオブセッションがあり、マンブルコアであることに意識的なあたり、マンブルコアにおけるケヴィン・スミス的な存在か。オンライン・ドラマ「Young American Bodies」でも有名。フル・フロンタルのヌードやベッド・シーンがふんだんだが、その裸は誰が見たがる裸なのかという男女が脱いで、身も蓋もなくセックスしているという嫌がらせのようなドラマである。

Hannah Takes the Stairs



 ケリー・レイチャード。特にマンブルコア派と交流はないが、しばしばマンブルコアにカウントされるマンブルコアの右岸派、つまりはヌーベルヴァーグにおけるアニエス・ヴァルダのような人。小説家のジョナサン・レイモンドと組んで、良質な作品を撮っている。ホームレスの女子が万引きで捕らえられている間に飼い犬を失ってしまうというかわいそうな話『Wendy and Lucy』はレイチャード版『冬の旅』か。

Wendy and Lucy



 ちなみに。
 いつまでたっても仲間内でしか映画を撮らない若手に業を煮やしたのか、最近、リチャード・リンクレーターがアンドリュー・ブジャルスキの映画に介入を決意。プロデューサーではなく、「俳優として参加」ってところがマンブルコアっぽい。ていうか、新しモノ好きなリンクレーターっぽい。実は『Funny,Ha Ha』の主演女優が『ウェイキング・ライフ』のアニメーターの一人だったりと、マンブルコア派と意外なつながりがある。リンクレーター周辺のマンブルコアへの接近といえば、リンクレーター作品のプロデューサーとして有名なアンヌ・ウォーカー・マクベイがマンブルコア映画『In Search of a Midnight Kiss』を制作している。

In Search of a Midnight Kiss